鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を始めた。各地に皇子たちを送り、地方支配の強化を目指した。公家の生まれだった北畠顕家は東北に派遣されたが、19歳の時、後醍醐天皇から「足利尊氏を討ち滅ぼせ」という命令がくだされた。東北から京都まで約800kmの道程を22日で踏破したといい、戦国時代に豊臣秀吉が行った中国大返し(10日で約230kmを踏破)を遥かに上回る速さだったという。本郷和人氏によると、東北には良馬が多かったといい、この「南部馬」は平安時代から戦で活躍した。体格が良く、走力、持久力に優れていたとあって、北畠顕家は馬産を重視していた。「太平記」によると、北畠顕家は19歳の若さで足利尊氏を撃破した。