東京・代々木公園では終戦直後の80年近く前、GHQの占領下で駐留するアメリカ軍の住宅が建てられていた。およそ92万平方メートルの敷地には800戸以上が建ち並びワシントンハイツと呼ばれていた。その後、1964年の東京オリンピックをきっかけに日本に返還されたあと選手村として利用され大会後は1棟だけが記念として残された。この建物は今も代々木公園の片隅にあるが、老朽化を理由に取り壊されることになり今週から本格的な解体作業が始まった。代々木公園近くの原宿で生まれ育った83歳の篠原東一さんは戦時中、長野の親戚に預けられて無事だったが終戦後に東京に戻ってくると一帯は焦土と化していた。同じころ、ワシントンハイツには白い洋風の家が建ち並び緑の芝生が広がっていた。フェンス越しに見えたその光景は同じ東京とは思えなかったという。復興もままならなかった当時、篠原さんの一家はどうにか家を建て直したが、食べ物も満足に手に入らないような暮らしだった。当時、ワシントンハイツで働いている人からもらったお菓子の味は今でも忘れられないと振り返った。建物の取り壊しを知って篠原さんは久しぶりに代々木公園を訪れた。多くの人でにぎわう公園には占領下の面影はない。しかし篠原さんは建物を見ているうちに当時の思いがよみがえってきた。ことしで戦後80年、また1つ、終戦直後の記憶を伝えるものがなくなろうとしている。公園を管理する東京都は跡地に同じ外観の建物を来年3月ごろまでに新たに造るとしている。都の担当者はかつての写真を展示するなどして建物の歴史も伝えていきたいと話している。