神戸母子寮は困難を抱えた母子の福祉施設で、37人が身を寄せ合っていた。阪神・淡路大震災では6434人が命を落とした。神戸母子寮も激しく崩れ落ち、5人が犠牲となった。兄の一馬さんは自力で外に出ることができたが、母親と弟の佑一さんは生き埋めになった。佑一さんは駆けつけた人に助け出されたが、母は冷蔵庫の下敷きとなり亡くなった。佑一さんは児童養護施設に預けられ、父は一馬さんのみ引き取った。佑一さんが児童養護施設を出る時、父が一人で亡くなっていたことを知らされた。一馬さんは父親に引き取られてからも神戸母子寮の避難先に頻繁に顔を出していた。一馬さんには家族ができたが、弟の存在からは目を背けてきた。一昨年秋、佑一さんが一馬さんの居場所を知り、会いに行くことを決めた。震災の追悼式典で、佑一さんは遺族代表として震災後の歩みを語った。神戸母子寮の跡地にある祠には、母のお地蔵さんが祀られている。夏、地域の子供達に祠にお参りしてもらう行事を母子寮の出身者たちが初めて行った。