大阪万博が開催された当時、内風呂の普及率は約7割だったなか、人間洗濯機が展示された。会場内を行き来するタクシーは電気自動車で、リニアモーターカーなども紹介された。太陽の塔の裏側にお祭り広場が設けられ、 世界各国の人々が音楽、踊りなどの伝統文化を披露した。国際情勢に目を向けるとベトナム戦争は泥沼化し、ヨーロッパでは東西冷戦が続いた。万博のテーマとして「人類の進歩と調和」が掲げられ、建築学者の上田篤氏は「先進国でなくとも各国の文化の特色がある」と話す。開催期間中、広場には約27万人が出演していた。広場でスタッフとして働いていた中川さんは閉幕後、日本と経済交流の架け橋になろうとインドネシアで熱帯雨林の木材の輸出に携わった。