アンケートに答えてくれた福田敬正さんはボランティアで語り部活動を行っている。福田さんは語り部として語る場所は今も震災跡が残る「神戸港震災メモリアルパーク」。1995年1月17日に発生した「阪神淡路大震災」は死者・行方不明者は6400人を超えた。28年前の災害を今に伝えるためにどんな工夫をしてきたのか川崎さんは聞く。福田さんは遺構などは後世に残していけるものなのでなにかメッセージ的なものを伝えられるものがあるのは有効なのではないかななど話した。続いて向かったのは淡路島。淡路島で20年近く語り部を続ける米山正幸さんがいる。野島断層保存館では当時の震災状況などが再現された展示などがされている。米山さんは当時妻と生後間もない娘と暮らしており、激しい揺れの中娘を賢明に守った。語り部としては自らの体験のほか人の体験も語っている。
この日、米山さんは語り部として活動する娘の未来さんも連れてきてくれた。川崎さんは悩みとして伝えていくことで発する言葉の重みなどに葛藤を覚え始めたと話す。米山さんは言葉の重みは感じていて自身の体験が100%正解じゃないと言っていて同じ阪神淡路大震災でも都会の神戸と田舎の淡路で差が出ており、自分の地域に落とし込んで使ってねと話したら楽と話す。未来さんは地震発生時生後2か月で震災の記憶はないが父に憧れ5年前に語り部として活動を開始した。当時の状況を聞き取りライブ発信で伝え続けている。未来さんは「記憶が無いやつが語るな」などの批判は届いているがいつか来てしまうそのときのために伝えていきたいと思っていると話した。米山さんは1つの体験で伝えられる教訓は1つでいろんなところから集まって話しを持ち寄ることで2つの話が4つになるかもしれないなど話した。
この日、米山さんは語り部として活動する娘の未来さんも連れてきてくれた。川崎さんは悩みとして伝えていくことで発する言葉の重みなどに葛藤を覚え始めたと話す。米山さんは言葉の重みは感じていて自身の体験が100%正解じゃないと言っていて同じ阪神淡路大震災でも都会の神戸と田舎の淡路で差が出ており、自分の地域に落とし込んで使ってねと話したら楽と話す。未来さんは地震発生時生後2か月で震災の記憶はないが父に憧れ5年前に語り部として活動を開始した。当時の状況を聞き取りライブ発信で伝え続けている。未来さんは「記憶が無いやつが語るな」などの批判は届いているがいつか来てしまうそのときのために伝えていきたいと思っていると話した。米山さんは1つの体験で伝えられる教訓は1つでいろんなところから集まって話しを持ち寄ることで2つの話が4つになるかもしれないなど話した。