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「阪神・淡路大震災」 のテレビ露出情報

福島・いわき市にラジオを届ける「FMいわき」。常勤のスタッフは約20人。その殆どが地元・福島の出身。1996年、阪神・淡路大震災がきっかけで開局。停電や通信障害でテレビも電話も使えない中、確実に市民に情報を届けたのはラジオだった。その教訓から震災の翌年に第三セクターとして開局。使命は防災情報を確実に市民に届けることだった。普段は地域の祭りや商店街のイベントを紹介するなど身近な放送局として親しまれてきた。そんな平穏が突如として奪われたのが開局から15年が過ぎたときだった。2011年3月11日、東日本大震災が発生。FMいわきでは坂本美知子が第一報を伝えた。大津波が襲い市内は大混乱に陥った。局長の安倍は、スタッフをすぐ災害対策本部に送った。関係機関に取材し犠牲者や被害状況を伝え始めた。沿岸部ではすでに多数の行方不明者がでていた。火災、停電、断水。道路の陥没などで交通もマヒしていた。下神白地区の保育所が津波で倒壊。ミキサーの小野岩夫の娘が通う保育所だった。妻に電話をかけたが繋がらない。すぐ家族のもとに駆けつけたかったが当時、ミキサーを任せられる社員は小野しかいなかった。自宅に帰ると津波で浸水、しかし、妻と娘は無事だった。この日発表された死者、行方不明者は140人に上っていた。放送をしていると沿岸部の高校生から、津波で亡くなった同級生の遺体を家族に届けたい、家族を探してくれませんかと電話があった。福島第一原子力発電所では水素爆発により大量の放射性物質が拡散。国は緊急事態宣言を発言した。30km圏内のいわき北部でも屋内退避指示が出された。大きの人が自主避難を始め、駅前の大通りから人影が消え、災害対策本部に記者の姿はなかった。ほとんどの報道機関がいわきから撤退していった。安倍は我々も退避すべきではと思ったが、公園の前を通りかかったとき、給水を待つ人の長蛇の列を見て、いわきに残り情報を届けることに決めた。安倍派スタッフそれぞれの意思を確認した。丹野理恵は迷っていたが子どものために避難を決めた。その中で、残ると決めたのは看板パーソナリティとして局を支えてきたベティだった。ベティは夫と息子を避難させ、放送を続けることを決めた。こうして8人のスタッフが残ることを決めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月13日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
チコちゃんに叱られる!(チコちゃんに叱られる!)
「イルミネーションをするようになったのはなぜ?」と質問。正解は「エジソンが電球を売ろうとしたから」。解説してくれるのは橋本毅彦名誉教授。そもそもクリスマスツリーの飾り付けの起源は15~16世紀でドイツの宗教改革者マルティン・ルターが夜空の星が木々を飾っているように感じそれを子どもに伝えようと常緑樹を持ち込みろうそくで飾ったのがきっかけ。当時はろうそくは高価で[…続きを読む]

2026年3月12日放送 12:20 - 12:30 NHK総合
みみより!解説(みみより!解説)
国はペットと飼い主を守る新たなガイドラインを作成している。全国で犬・猫は1600万匹近く飼育されている。ペット連れ避難は避難所に入れない場合もあり、車中泊・危険な自宅にとどまるケースもある。阪神・淡路大震災では迷子のペットが多数出て、犬・猫にマイクロチップを装着することが義務化されるようになった。東日本大震災では取り残されたペットが繁殖して野犬も増加したこと[…続きを読む]

2026年3月11日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル わたしたちの”復興”震災15年・当事者たちの告白)
南海トラフ巨大地震では復興に5年で161兆円が投じられるという試算もある。南三陸町の元町長、佐藤仁氏は災害に見舞われる前に時間をかけ、復興方針を議論しておく「事前復興」を提言する。佐藤尚美さんは石巻市で復興まちづくりに携わるなか、高台移転でできた町、防潮堤を見るたび、復興をめぐる選択は正しかったのか自らに問い続けている。愛媛・愛南町では南海トラフ巨大地震で最[…続きを読む]

2026年3月11日放送 13:50 - 15:42 フジテレビ
わ・す・れ・な・いFNN東日本大震災15年特別番組 わ・す・れ・な・い 未来へつなぐ311の記録
阪神・淡路大震災、2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震とこの国は何度もの地震災害から立ち上がってきた。その積み重ねが未来の力を守る力に。

2026年3月10日放送 2:17 - 3:03 NHK総合
阪神・淡路大震災31年 しあわせ運べるように 神戸から福島、そして能登へ(阪神・淡路大震災31年)
福島しあわせ運べるように合唱団は二本松市で活動している。団員は20人で小学生から大学生までが一緒に活動している。2011年東日本大震災が発生し二本松市でも放射能汚染の不安にさらされながら暮らさざるを得なくなった。しあわせ運べるようには阪神・淡路大震災直後の神戸で生まれた。小学校の音楽教諭臼井さんが作った。当時二本松市には浪江町の仮設住宅団地があり合唱部に歌っ[…続きを読む]

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