311の現在。民間遺構がつなぐ記憶、”物言わぬ語り部”残したい。岩手・陸前高田市のかつての中心市街地にポツンと立つ米沢商会ビル。近くには震災後にかさ上げされた新しい市街地が広がっている。ビルを管理する米沢祐一さんは東日本大震災発生時、3階建てのビルの窓から津波を目にし屋上へと逃げた。津波が迫る中、米沢さんはさらに煙突へと登った。押し寄せた津波の高さは約15m、足元約20cmまで迫った。近くの市民会館に避難した両親と弟は津波に呑まれ亡くなった。震災後米沢さんは仕事の合間に津波の経験を伝える語り部をしている。陸前高田市には「奇跡の一本松」など市が管理する震災遺構が5つあるが米沢商会ビルは個人で管理する民間遺構。維持管理や将来の解体費用は自己負担となる。米沢さんは能登半島地震の被害を目にし改めて震災遺構を残す意味について考えている。米沢さんは「自分が生きているうちは残します。物言わぬ語り部じゃないですけどそういう感じのものなんじゃないかなと」などと語った。