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「雄勝町(宮城)」 のテレビ露出情報

石巻市雄勝町で銀鮭の養殖を営む阿部優一郎さんは13年前のきょう、福島市内で働いていて無事だったが、雄勝町の実家が津波で流された。弟の義満さん、弟の妻・恵美子さんが犠牲となり、母・良子さんはまだ見つかっていない。残された父や弟の息子を引取り福島市で暮らすことも考えたが、仕事を辞め弟のあとを継いで銀鮭漁師になった。当初は赤字だったが弟の生きた証を残したいと諦めずに続け、震災前とほぼ同じ水準まで回復した。南三陸町の港に入ってきた船。わかめのめかぶを切り落とす作業をしているのは漁師の小野具大さん。震災の津波で母の美和子さんと兄の雄大さんを亡くした。震災当時は塩竈市内の飲料メーカーに勤めていたが、家業の漁業を継いだ兄が亡くなったことから自分が引き継ぐことを決意し、南三陸町に戻ってきた。亘理町 上浜街道の災害公営住宅ではきょうも住民や地域のお年寄りが7年前から毎日続けてきた朝のラジオ体操をして交流した。住民たちの高齢化が進むなか、新型コロナの影響もあり、交流への参加が難しい人が出てきているということで、少しずつ交流の機会を増やすようにしているという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月26日放送 8:00 - 8:25 NHK総合
小さな旅(小さな旅)
宮城県石巻市の雄勝町には小さな集落が点在し1000人ほどが生活している。漁業の町である雄勝町、4月は特産のワカメの出荷で賑わっていた。直売所には大漁旗が飾られている。栄養分豊富な海では漁だけでなく養殖も盛んに行われている。雄勝町で生まれ育ったという大和恵一郎さん、大学卒業後すぐに家業である漁業に従事したという。今の時期は春にやってくるイワシを狙った漁を準備を[…続きを読む]

2024年3月11日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
東日本大震災から13年。宮城県石巻市雄勝町はかつて4000人もの人が暮らしていた町は住宅の8割が全壊、多くの命が失われた。命を守るために2016年に防潮堤建設が開始された。住民は高台に移転するか否かをせまられた。高台移転を選んだ佐藤美千代さん。夫は他界し今は一人暮らし。佐藤さんは孫や子どものために故郷は残しておきたいという。雄勝町を離れることを決めたのは災害[…続きを読む]

2024年3月11日放送 19:00 - 20:00 NHK総合
NHKニュース7東日本大震災13年
次の教訓は「まちづくり」。東日本大震災では元の状態に戻すのではなく、各自治体が創造的復興を目指して復興計画を作り、道路や住宅など13兆円余りが投じられた。陸前高田市の戸羽太さんは「未来の人々のため」という意識でまちづくりを行ったと語った。一方で宮城県雄勝町の阿部晃成さんは震災前より状況が悪くなっていると語り、能登半島地震の被災地でその教訓を伝えているという。[…続きを読む]

2024年3月11日放送 0:25 - 1:15 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル)
宮城県石巻市雄勝町の石巻市立雄勝病院が立っていた跡地には、石碑がたっている。2011年3月11日、東日本大震災が発生したときに、石巻市立雄勝病院には自立歩行困難な入院患者40人がいて、入院患者全員と職員の合計64人が亡くなった。
8月、石巻市立雄勝病院の跡地の石碑を、遺族の人達が訪れた。石巻市立雄勝病院で看護助手をしていた永沼さんは、23歳で亡くなった。雄[…続きを読む]

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