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「震災資料館」 のテレビ露出情報

阪神・淡路大震災ではによって神戸市に4人の児童が亡くなった小学校がある。神戸市東灘区は激しい揺れで高速道路は橋脚ごと倒れ家屋の倒壊により多くの命が失われた場所だ。この地域にある神戸市立本山第二小学校の校舎は大きな被害を受け家で就寝中だった児童4人が死亡した。小学校は避難所になり地域の人々はグラウンドに仮設テントを立て寒さをしのいだ。この学校の一角に震災の記憶を刻んだ資料館があり、震災直後避難生活を送る場として寄贈されたログハウスを利用したもので中には貴重な資料が展示されている。管理を任されている藤本圭子さんは自身もこの学校の卒業生で当時、小学5年生だった娘・真奈さんを亡くした。藤本さんは搬送先の病院を探したが真奈さんはその間に息を引き取った。荼毘に付された4日後の21日は真奈の11歳の誕生日だった。その後藤本さんは小学校でボランティア活動を行い資料館を預かることにした。「当時の5.6年生は自分で手伝いを見つけていて娘も生きていたら手伝いをする子だったの彼女の代わりになれならな」と話した。藤本さんには真奈さんの2歳下の息子がいて学校行事に出て娘が中にいないことが悲しかったが地域の人々の励ましと資料館が救ってくれたという。
市立上筒井小学校・三橋治校長は震災時、本山第二小学校で亡くなった真奈さんのいた5年生のクラスを受け持っていた。三橋治校長は「2月に入って再登校してきたときにクラスの子の3分の1ほどしか学校に来られなかったがその子どもたちが会うと抱き合って泣いて喜んでいた。普段学校に来て挨拶のとき抱き合って泣かない。子どもたちの行動が、『人を大事にしたい、大事にする』という気持ちがものすごく表れているのであれは負の遺産とも思うが子どもたちの心の中に少なからずプラスの気持ちが芽生えたのが事実だった」と話した。やがて子どもたちは大人たちを手伝うようになったという。三橋治校長は、亡くなった児童のことを忘れることはないという。ベテラン教師となった今は校長を務め近く定年を迎え「いろいろ節目節目で言われてきますが毎年毎年節目ではなく震災が起きた日として特別な気持ち」だとした。
震災から30年のきょうも震災資料館で児童らに語り継ぐという藤本さんは「震災で木津付いている方や遺族の方は絶対心の中に亡くなった方がいて心の残してある意味頑張っているんだと思う。それを分かってくれる社会であってほしいし寄り添えるような社会になってくれたらいい」などと話した。
住所: 兵庫県神戸市東灘区深江浜町11-1

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