助産師はかつて産婆と呼ばれ、自宅での出産を介助した。日本は戦争に突入すると産めよ殖やせよを掲げ兵力となる子どもを増やそうとした。その国策を担ったのが産婆であった。助産師の望月さん・玉川さんは戦時中に生きた11人の産婆から話を聞き冊子を作成した。戦地に行く覚悟を決めた高木住子さんを周囲は引き止めた。高木さんの家族は命に向き合う母の姿をみていた。次女は「みんな誠実に生きて幸せな社会になればと思っていたのでは」などと話した。高木住子さんはなくなる直前まで助産師として働いた。高木さんの願いは今の助産師に受け継がれている。