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「静岡がんセンター」 のテレビ露出情報

去年6月、がん治療が専門の吉野孝之医師(52)はアメリカ・シカゴで開催されたアメリカ臨床腫瘍学会(ASCO)に参加した。がんの治療を最も進化させた世界トップ4の1人に選出され講演した。ステージ4大腸がん患者の4割を占める手術で切除できない種類のがんの研究が評価された。ステージ4を含む進行・再発期のがんは最初に使う薬が重要とされるが、この種類の大腸がん患者にそれが最適な治療法か世界で答えが出せていなかった。吉野の研究チームは最も有効な抗がん剤を分析、823人の患者で治験を行い、最も生存率を高める治療法を世界で初めて証明した。世界中でこの治療法が最初に患者が受けるべき最適な治療法となった。宮木信明さん(70・仮名)は吉野が副院長を務める国立がん研究センター東病院でこの治療を受けている。お腹の調子が悪かった宮木が診察を受けると、吉野チームが研究した種類と同じ大腸がんと診断された。肝臓にも転移していたが、吉野チームの治療法を受け、肝臓のがんが小さくなったことで、大腸がんと合わせて手術で取り除くことができた。吉野は数十億円規模の新薬研究を勝ち取るべく、製薬会社や新興企業など、3日で30社と交渉した。メールは世界中から毎日1000通以上届くという。
アメリカのスタートアップ企業TEMPUSのフクシマCOOらが東病院を訪れた。1990年代までの抗がん剤は正常な細胞にもダメージを与えてしまい、重い副作用が課題だったが、2000年代にはがんを作るタンパク質だけを攻撃する分子標的薬が登場。この治療法を可能にするのが遺伝子パネル検査だが、現在の検査には様々な課題や条件があることから吉野が目をつけたのがこの会社だった。翌日行われた東病院と厚生労働省の打ち合わせにフクシマCOOも参加した。交渉を円滑にするため、吉野は飲みニケーションを重視している。
吉野が母校・防衛医科大学校を訪れた。一般のサラリーマン家庭で育った吉野はどうしても医者になりたいわけではなかったというが、選んだ道は間違っていなかったと語った。大学時代の親友たちに吉野について語ってもらった。卒業後は航空自衛隊所属の医官となり、硫黄島などに赴任した。静岡がんセンターからアメリカへ留学した時に、日本で承認されていない薬によって回復した患者が泣いて喜ぶ姿を目の当たりにした。当時は海外で承認されている薬が日本で使えない「ドラッグラグ」が問題となっていた。東病院は大津院長を中心として国際共同治験への参加を開始し、研修医時代に指導していた吉野に白羽の矢を立てた。治験で固形がん患者4万人の遺伝子変化を解析し、吉野チームは14の治療薬と18の診断薬を生み出した。吉野のチームには海外の専門誌に論文を発表する医師が次々に誕生している。
東病院の構想が実現に向けて動き出した。数万例の患者データを統合してスーパーコンピューターで解析し、AIで患者に合った抗がん剤を見つけたり、新しい薬を処方する仕組み作りを目指している。さらに吉野はスーパーコンピューターを超える量子コンピューターの導入を見据えている。吉野はロンドンで行われたグローバルな製薬企業が参加する非営利組織の会合に参加し、量子コンピューター導入の足がかりにするため、組織のトップに面談を申し込んだ。
住所: 静岡県駿東郡長泉町下長窪1007
URL: http://www.scchr.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年7月13日放送 3:10 - 4:10 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞FNSドキュメンタリー大賞
静岡がんセンターに榛葉さんはいた。2022年2月16日にキロ近い体重の減少があり心配した家族が検査を進めた。結果はスキルス胃がんだった。ステージ4だった。娘は2歳になったばかりだが、榛葉さんの体はもう手術できるような状態ではなかった。もっぱら家事をすることが日課になったという。胃がんによる死者数では4万1624人。その数は肺がんや大腸がんについで3番目に多い[…続きを読む]

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