栄三郎は「うそつき栄三」と呼ばれ、ユニークな人物だったと道雄さんは伝え聞いている。明治時代、高山に出てきた栄三郎は文右衛門坂と呼ばれるあたりで白川屋旅館を営んでいた。旅館の主となってからも栄三郎の冗談好きは変わらなかったようで、仲の良いお寺の住職に「○○さんが亡くなったらしい」と一言言いそんな話を知らなかった住職は慌てて○○さんの家へ行ったが○○さんはピンピンしておりそれを見て栄三郎はしてやったりと笑っていたという。栄三郎は単なるお調子者ではなく、人々に愛されていたと伺われる資料もあった。明治25年、栄三郎が営んでいた白川屋旅館が付近一帯の火事に巻き込まれた際に書かれた火事見舞帳で近所の人たちは栄三郎を心配しにぎりめし・風呂敷・こんにゃく・なわ沢山など生活に必要なものを届けてくれていた。温かい支援を受けた栄三郎は白川屋旅館を再建し火事のあとも街道筋で営業を続けた。そして栄三郎は大正13年に73歳で亡くなった。
住所: 岐阜県高山市上一之町75
