ずゐせんの塔跡には、首里高等女学校から「瑞泉学徒隊」と動員され亡くなった33人の名前が刻まれている。塔は1958年に那覇市首里の建てられ、その後糸満市米須に移転した。そして、先月糸満市から再び首里に戻った。長年瑞泉同窓会の会長を務めた新元貞子さん(100)。遺族の高齢化が進む中、塔の管理は長年の課題だった。さらに去年同窓会が解散した。今後に大きな不安を抱えていた。学徒達を母校に帰してあげたいという思いもあり、首里への移転を決めた。塔の管理は旧制県立第一中学校の「養秀同窓会」が引き継いでくれた。祈りの場として守り継がれてきた沖縄戦の慰霊塔や慰霊碑。一方で戦後81年が経ち、存在そのものが忘れられつつあるものもある。糸満市の道路脇にぽつんと残る石段がある。草が生い茂ってていて慰霊塔らしきものは見えなかった。「第27野戦防疫給水部部隊本部 終焉の地」。この部隊は旧日本軍の後方支援を担当し、水源確保や病院の開設にあたったが、戦況の悪化とともに南部へ。非戦闘部隊だったが最前線での戦闘に加わった。軍の記録には6月23日に部隊長以下全員が敵の重戦車軍に突入して戦死したと記されている。加島さんは、慰霊塔や慰霊碑には沖縄戦の史実を後世に伝える役割もあると指摘する。沖縄県の調査結果によると、県内に440基ある慰霊塔・慰霊碑のうち管理者不明のものは1割だという。糸満市・真栄平を訪ねると、管理の難しさが見えてきた。管理者不明の慰霊碑の手入れは、地元の住民たちがボランティアで行なっている。県は過去3回、実態調査を実施して持ち主を探して呼びかけているがほとんど反応はないという。
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