- 出演者
- 向井一弘 池田伸子 伊藤海彦 瀬戸光 田中美都
オープニング映像が流れた。
オープニングの挨拶をし、出演者を紹介した。
埼玉・本庄から中継。上空は薄曇りだが、雲を透かして日差しもやや感じられるようになってきた。川沿いに奥までずらっと見えているのは桜並木。春には地元の人の桜の名所にもなっているが、最近ある虫の発生によって桜の木の勢いが弱ってきている。4時台の中継ではその虫対策について伝える。
日本の南の海上には西側に台風7号、東側にはきょう発生した台風8号がある。台風8号はこのあと日本の東へと進む予想。台風7号は現在非常に強い勢力で暴風域を伴っている。このあと北上する見込みで木曜日頃になると沖縄の先島諸島に接近する予想で大荒れの天気となる見込み。全国の天気予報を伝えた。
5時台は「老若男女誰もが楽しい!サッカーの変わり種」を紹介する。
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「義肢装具士」は義肢や義足、装具を制作する専門職で、利用者にとってはなくてはならない存在。しかし今、なり手が減っていて、関係者の間では危機感が強まっている。きょうは義肢装具士のいまについて伝える。
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- 義肢装具士
専門学校や大学の課程を修了し、義肢装具士になるには国家資格に合格する必要があるが、看護師やリハビリを担う理学療法士などと同じ医療関係職種と呼ばれるものの一つ。その中でもものづくりに特化しているのが特徴。その義肢装具士が今、なり手不足の危機にある、などと伝えた。
義肢装具士は深刻ななり手不足に直面している。義肢装具を製造する仙台市の企業では今年6人採用する計画だったが、応募したのは2人だった。この企業では一部工程3D技術を使っているが、人手が足らず依頼を断ることもあるという。また処遇面の問題もある。義肢の価格は国が3年に1度、材料費や人件費から上限を決めるため、その中で賃金を賄わなくてはいけない。横浜市の業者では石油製品などの材料費が物価高の影響で仕入れ価格が上昇しているが、上限を超えて値上げができないため、賃金を上げることもできないという。塩竈市の病院には仙台市の企業に採用された義肢装具士の女性が形を取る作業をしていた。団体は次の改定のタイミングで価格の上限の引き上げを求めていくことにしている。
遠くや新しい医療機関からうちにも来てくれという要請があったりするそうだが、断るケースがあるという。義肢装具士の養成校は北海道の2校はこの数年で募集を取りやめた。兵庫県の学校も1クラス減らした。志望者減少が大きな要因。国も義肢装具士に限らず医療関係職種をどう養成していくかが課題だとし、厚生労働省は先月検討会を設置し、どう養成していくかや働く環境整備などの在り方について検討を始めている。知名度が低いのも要因にある。多くの義肢装具士が医療機関や介護施設ではなく民間の製作所で勤務している。そうした意味では一般の患者さんなどと理学療法士などと比べると接触機会が少ない。義肢装具士の団体が考えたのは「義肢装具の日」を定めること。先月都内で式典が開かれた。記念日の制定をきっかけに今後各地で義肢装具士について周知をしていきたいとしている。製作所に勤める義肢装具士の賃金は義足や装具の売り上げから賄われるが、物価高の影響で賃金の引き上げが難しいと言われている。国や自治体などが利用者への支援として購入費用を補助している。国は3年に1度、材料費や人件費などを調査したうえで価格改定をしていて、次の改定は来年度の予定。また物価高の対応として地方への公金による支援を行っているので自治体に活用するよう周知しているともしている。ただ昨今の中東情勢をみても義肢装具士の処遇はその時々の物の値段に左右されやすい。そこで団体の代表は処遇の改善や人手不足の解消に向けて次の改定では3D技術など新たな技術も加味し、大幅に上限価格の引き上げを求めたい、3年に1度の改定期間の短縮の議論が進むことも期待したいと話している。先月開かれた式典では長年装具を着けている利用者の方も参加し「地震で夜中揺れたらまず装具を持って逃げる。私たちの体そのもので体や障害にあった装具がないと生きていけない。」と話していた、などと伝えた。
番組では皆さんからの質問や疑問に田中キャスターが答える。テーマは「どうする?人手不足・人材活用」。
今月25日放送の「SONG」を紹介。大泉洋さんとゴスペラーズがトークを繰り広げる。ゴスペラーズは早稲田大学のサークルからスタートしたグループで、5人組のゴスペラーズと5人組の演劇ユニットを結成する大泉さんならではのトークで盛り上がった。デビュー当時、ゴスペラーズはアカペラの知名度の低さに悩んだという。そんな中「ひとり」が大ヒットし、紅白の舞台に立つことができたという。番組では、大泉さんとゴスペラーズのハモリにも挑戦している。
ずゐせんの塔跡には、首里高等女学校から「瑞泉学徒隊」と動員され亡くなった33人の名前が刻まれている。塔は1958年に那覇市首里の建てられ、その後糸満市米須に移転した。そして、先月糸満市から再び首里に戻った。長年瑞泉同窓会の会長を務めた新元貞子さん(100)。遺族の高齢化が進む中、塔の管理は長年の課題だった。さらに去年同窓会が解散した。今後に大きな不安を抱えていた。学徒達を母校に帰してあげたいという思いもあり、首里への移転を決めた。塔の管理は旧制県立第一中学校の「養秀同窓会」が引き継いでくれた。祈りの場として守り継がれてきた沖縄戦の慰霊塔や慰霊碑。一方で戦後81年が経ち、存在そのものが忘れられつつあるものもある。糸満市の道路脇にぽつんと残る石段がある。草が生い茂ってていて慰霊塔らしきものは見えなかった。「第27野戦防疫給水部部隊本部 終焉の地」。この部隊は旧日本軍の後方支援を担当し、水源確保や病院の開設にあたったが、戦況の悪化とともに南部へ。非戦闘部隊だったが最前線での戦闘に加わった。軍の記録には6月23日に部隊長以下全員が敵の重戦車軍に突入して戦死したと記されている。加島さんは、慰霊塔や慰霊碑には沖縄戦の史実を後世に伝える役割もあると指摘する。沖縄県の調査結果によると、県内に440基ある慰霊塔・慰霊碑のうち管理者不明のものは1割だという。糸満市・真栄平を訪ねると、管理の難しさが見えてきた。管理者不明の慰霊碑の手入れは、地元の住民たちがボランティアで行なっている。県は過去3回、実態調査を実施して持ち主を探して呼びかけているがほとんど反応はないという。
慰霊碑の管理者が不明というケースもあるという。悲惨な戦争の中で、犠牲になった方々の供養をしたいという思いで、誰かが慰霊碑を作ったが、今管理がいない。それを地域の方が守っているという話があったが、色んな難しさもある。戦後80年以上経つ中で、記憶の継承という意味でも重要。厚生労働省が7年前にまとめた全国1万6千の慰霊塔・慰霊碑を対象にした調査でも、約1割が管理者不明という結果。慰霊塔・慰霊碑をどうするか、岐路に来ている。
東京・中央区の東京洋傘の店を紹介。東京洋傘の組合の会員企業が企画・生産するのが「東京洋傘」で、関節の部分などに布が巻いてあることが特徴。店内の東京洋傘のレプリカなどを紹介した。手作業で作られる東京洋傘は貴重で、外国人から人気があるという。
