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「高原須美子経済企画庁長官」 のテレビ露出情報

平成元年のリクルート事件で竹下総理が辞任、すると後を継いだ宇野宗佑首相も。女性問題が尾を引き参院選で大敗、在任期間69日で退陣となった。スキャンダルと汚職にまみれた自民党への大逆風、そこで世代交代の旗手として白羽の矢が立ったのが海部俊樹氏。小さな派閥に籍を置き、党三役の経験もなし、閣僚経験は文部大臣だけ、最大派閥の竹下派が担ぎ上げた。昭和生まれ初の総理大臣、党の再生にはクリーンなイメージが必要だった。注目されたのは水玉柄のネクタイ。組閣では2人の女性を同時起用、女性の支持を得ようと目論んだ矢先のことだった。内閣発足から16日目、女性問題で山下官房長官が辞任した。ここで海部氏が後任に据えたのは環境庁長官に就任していた森山真弓氏。現在まで他に例がない女性初の官房長官の誕生だった。ここでも女性を起用するという話題性をもってしてスキャンダルの批判をかわした海部氏だったが、その後待っていたのは消費税廃止をめぐる激しい攻防だった。そんな中、海部氏が姿を見せたのは国会ではなく都内のスーパー。こうしたイメージ戦略と実直な人柄で内閣の支持率はアップ。発足時27.5%だった支持率は一時54.2%にまで上昇した。しかし自民党にまたしても大きな試練が訪れた。
1993年、自民党は衆院選で過半数を割り込み下野。非自民による連立内閣が誕生し37年続いた自民党単独の政権は崩壊した。翌年、政権復帰を果たすもイデオロギーの違う社会党と連立を組む苦肉の策。時代はバブル経済が終えんし、翌年には一時1ドル79円になるなど国民に景気の先行きへの不安が広がる中、自民党は経験豊富な新たなリーダーに命運を託する。それが当時58歳の橋本龍太郎氏だった。橋本氏といえば行く先々で歓声が上がるほどの女性人気。幹事長時代に参院選で歴史的大敗を喫したときはたばこに火をつけ悔しがる姿もさまに。そのカリスマ性から政界の杉良太郎と称されるほどだった。政治手腕も高く評価され、通商産業大臣時代には日米自動車協議で驚きの交渉術を披露。このとき米国は日本の自動車市場が閉鎖的だとして経済制裁発動を予告。交渉期限を一方的に指定した。厳しい交渉が予想される中、カンター氏から竹刀をプレゼントされる。そして米国に対して日本の立場を強く主張する。橋本大臣は難しい交渉をまとめ制裁は回避された。単独政権崩壊からの復調をかけて挑んだ総裁選。一騎打ちの相手は郵政3事業民営化を訴える小泉純一郎氏。投票の結果、橋本氏が304票、小泉氏が87票で橋本候補の圧勝に。そして村山内閣の総辞職を受け総理に就任。内閣支持率はおよそ6割だった。翌年に行われた衆院選では自民党が議席を伸ばし復調傾向に。しかし、その後の小渕内閣、森内閣では不祥事などで内閣支持率が1桁に急降下。またもや自民党に危機が訪れた。この危機の中再び総裁選に挑戦したのがこの人だった。2001年の総裁選は小泉氏、橋本氏、麻生太郎氏の3人で争い小泉氏が念願の勝利。こうして衆院選に臨んだ小泉総理は自民党を大勝に導きその後の安定政権の礎を築いた。

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