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「高山宗砌」 のテレビ露出情報

奈良県生駒市高山町には良質な竹が自生しており、様々な茶道具が生産されており、専門の茶筌師によって作られる高山茶筌は500年の歴史を持っており、国の伝統的工芸品に指定される。室町時代、それまでお茶は匙で混ぜられていたが高山宗砌が茶筌を考案し、製法は16名の家臣が受け継いだ。フローラは現在高山茶筌を製造している18軒の中でも最年少の久保駒吉商店七代目の久保建裕さん宅を訪れた。家族3人で作る茶筌は江戸千家の家元の川上宗雪氏も愛用しており、世界各国から直接購入に訪れる客もいる。フローラは日本に到着した日、東京南青山の「MA by So Shi Te」で久保さんの茶筌を見つけ、店頭で紹介されている広告を撮影していた。フローラは「茶筌八十本立」を試させてもらった。先の曲がった茶筌で点てるときめ細やかな泡が苦味を緩和し、まろやかな風味になる。久保さんの作る茶筌は穂先を薄く削り、点て感と抹茶の味を変える。2年前の放送時にフローラさんの持っている丸久小山園の茶缶と同じお茶を使っていた。
材料は主に繊維が細やかで茶道具作りに適した淡竹で、約2ヶ月かけ冬に寒干しし蔵で2~3年かけ水分を抜いている。干している間に亀裂が生じたり虫食いがあったりするものは使えず、蔵にある約3000本のうち茶筌に使用できるのは約半分。竹を12cmに切断し、硬い表皮の部分を剥き、穂先になる部分を16等分し、割った部分を外側に開き、繊維を包丁と指先の感覚だけで折り、穂先を包丁で皮と身を分け、根本まで割いたら中身を取り除くと、茶筌の原型が完成した。1片を約0.4mmと約0.1mmと交互になるよう8等分に小割りし、太い穂は上がり穂という外側の部分、細い穂は下がり穂と呼ばれる芯の部分に分けられる。割いた穂の先を湯に約5分漬け、穂先を先に行くほど100分の3mmまで薄くする味削りをしていき、穂先を包丁の背でしごいて湾曲させる。その先は妻がやり、最後の仕上げは母親がやる。
お子さんらが学校から帰ってきて幸子さんの母が駆けつけフローラさんの歓迎会が行なわれ、串カツなどを頂いた。たけのこの串カツは抹茶塩で頂いた。幸子さんは20歳で久保家に嫁ぎ、当時はバスガイドをしていたが家族がしてる作業を見て自らの意志で茶筌師の道を選んだ。
幸子さんは味削りを終えた茶筌の上がり穂の角を面取りし、下がり穂を内側に押し込み上がり穂を交互に編み込む下編みを行い、上がり穂を固定するため上編みを行い、下編みと上編みの糸を寄せて整え、竹のヘラで下がり穂をまとめる。

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