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「高江洲義英」 のテレビ露出情報

80年前、ふるさとを守るために結成された少年部隊「護郷隊」。激しい地上戦で兵力が不足する沖縄。国は兵士に代わって10代の少年たちを召集したその数、約1000人。与えられた任務は敵に気づかれず、奇襲攻撃を繰り返すゲリラ戦。本土決戦を遅らせることが最大の目的だった。沖縄県中部の山岳地帯に今も護郷隊が活動していた痕跡が残されている。地元の研究者・恩納村史編さん係・瀬戸隆博さんに案内してもらった。少年たちが潜んで戦ったとみられる蛸壺壕。山中では40か所ほど確認されている。存命する元少年兵を取材。17歳で入隊した96歳の宮城清助さんは、わずか3週間の訓練で実戦に投入され、アメリカ軍の侵攻を食い止めるために橋を壊したり、敵が寝静まったのを見計らって夜襲をかけたりしたという。宮城さんには今も忘れられない記憶は、移動中に手りゅう弾が暴発して死んだ仲間の姿。敵の攻撃から逃れるため、死んだ仲間は置き去りに。かわいそうという気持ちは湧かなかったという。宮城さんは「教育のおかげで軍隊に憧れていく」と語った。ゲリラ戦で命を落とした少年は160人。中には負傷して戦えないという理由で上官に殺された少年兵もいたという。16歳で入隊し、亡くなった男性の弟・高江洲義一さんが、兄の本当の最期を知ったのは、終戦から70年たってからのことだった。負傷して歩けなくなった男性は軍医によって銃殺されたという。間近で見たという元少年兵の男性は、役所が行った聞き取りで「拳銃でやられた」と答えている(沖縄・恩納村史編さん係の聞き取りより)。義一さんは「人間の尊厳、生きる幸せが保障されていなかった」と語った。1945年6月、沖縄では組織的な戦闘が終わり、大人たちは武器を置いた。だが、そのあとも少年たちはゲリラ戦を続けた。戦後、その過酷な経験からPTSDで苦しんだ元少年兵もいる。16歳で入隊した95歳の瑞慶山良光さんは、凄惨な光景を目の当たりにするうちに人としての心がなくなっていったという。戦争が終わったあとも村を荒らし回るなどまともな精神状態ではなかったという。そんな姿を見かねた親戚たちは自宅の横に座敷ろうを作り、その中に男性を閉じ込めたという。瑞慶山さんは「軍国主義の教育だけやっているから、頭がおかしくなって、一生涯こういう頭になるんじゃないかなと」と語った。その後、入院し治療を続けたが、幼くして受けた心の傷はいまだに癒えることはない。今年6月、沖縄戦の戦没者を追悼する慰霊の日。護郷隊の慰霊碑がある小さな公園には朝から地域の子供たちと保護者が集まり清掃活動を行った。ここを訪れる人が年々少なくなる中、慰霊碑に向かって手を合わせる瑞慶山さんは「14,15歳の子どもたちを戦争に飛び込ませる。人間を物と同じように考えていた。人の命を粗末にするようなことはあってはいけない」と語った。

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