岩崎宏美の祖父である重蔵は妻のウフジとの間に5人の女の子を授かり、1人がスエ。岩崎宏美の母であり、元同級生の染サチさんは「特別な声の持ち主だった」と振り返った。戦火で母とともに鹿児島市へ疎開することになり、島唄に触れる機会はほとんど無くなった。また、鹿児島大学の中嶋助教は「本土の人たち以上に苦しかったと思われる」と話す。仕事、家もまともに確保できない人が多かったという。加えて、復員した重蔵が47歳で死去。故郷の奄美は米軍の占領下にあり、簡単に帰ることはできない。1949年、スエは東京で姉夫婦が経営する店で働くなか、岩崎兼三と出会う。
