TVでた蔵トップ>> キーワード

「鹿嶋漁港」 のテレビ露出情報

高橋努さんは「東京出身。(俳優になるきっかけは)何やっていいかわかんなくて。学生時代はサッカーやっていた。大学卒業して3年間は居酒屋でバイトしていた。25歳から役者を始めたが、その後もずっとバイトしていた。高校の同級生がシティボーイズのきたろうさんの息子で、そいつがまず役者をはじめた。その手伝いをしたりしてめちゃめちゃ面白そうだなと感じた。きたろうさんが稽古つけにきてくれたり、きたろうさんが立って小銭じゃらじゃらしているだけでめちゃめちゃ面白い。俳優さんってすげえなって。ちゃんと飯食えるようになったのは30過ぎてから。クローズZEROのときはフリーだったのでオーディションで決まった。その時はもうバイトはやめていた。蜷川幸雄さんに稽古中にバイト何やってんだといわれて、バイトなんかしてるからフリーターみたいな顔しているんだとみんなの前で言われた。そうかと思って次の日バイトやめた。お金がなくてきつかったが、ありとあらゆる方法で生き延びていた」などコメント。
注文していた海鮮丼が運ばれてきた。おかみさんは何から食べるのがいいと聞かれると「好きなものから食べて。お好みで」などコメント。高橋努さんは鹿嶋漁港で今朝あがったカワハギから食べ「甘い」などコメント。合わせていただいた味噌汁についても「一生飲める」など絶賛のコメントをした。
岡崎紗絵さんはデビューのきっかけなどについて質問されると「名古屋にいた頃にモデルの事務所に所属して、そこからセブンティーンのオーディションを受けて。家族でごはんを食べに行ったら。そこの女将さんがカメラマンさんのところに連れて行ってくださって、それからその方のスタジオで写真を撮っていただいて事務所にという流れだった。紹介みたいな流れだった。女優業は20歳から。お芝居にも興味があったが、入口がわからなくて、お芝居ってすごい離れた感じに思っていた。レッスンにいったりとかを経て」などコメント。さらに、セブンティーンの同期は誰か質問されると岡崎さんは「広瀬すずちゃんとか。オーディションは第3次審査まであって、1次が面接、2次がカメラテスト、3次審査でファン投票みたいなのがあったと思う」などコメント。高橋努さんは駆け出しのころについて「先輩方にはたくさんおごってもらった。吉田鋼太郎さんとかいまだにムロツヨシさんとか長谷川博己くんとか。4つ年下なんだけど事務所の小栗旬におごってもらっていた。(クローズZEROのときは)27とか28とか。クローズZEROはオーディションが事務所用と一般が分けられていた。俺は一般だったので絶対だめだと思って、小栗にお願いしに言ってプロデューサーに会わせてくれと。そしたら夜中の2時ぐらいに電話がきて、今プロデューサーと飲んでるんだけど来ない?と誘われて行くと言った。そこで事務所所属の方のオーディションを受けることを許された。それでプロデューサーと三池監督に選んでもらった」などコメント。
ウツギ酔賓店。ハナコの秋山寛貴さんが文化放送のラジオCMコンテストの賞金でお会計をすることに。会計の前に女将さんが「先週ジーコが来店したが、その時に私はチーコだから、ジーコとチーコで盛り上がった」など話した。お会計は1万7600円(税込み)。秋山さんは「賞金無くなる」などコメント。そして店を去る前に一行は、お世話になった女将さんへサイン色紙を手渡した。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.