後藤哲也は各旅館にふらりと現れては、手取り足取りコツを教えてくれた。それまで周囲から理解されることのなかった哲也。誰かに頼られるのは初めてのことだった。健吾は哲也にトタン屋根をなんとかしたいと相談。すると教えてくれたのは木を植えて田舎の雰囲気を作ることだった。哲也は一緒に山に入り木の選び方から教えてくれた。健吾の旅館は年を経て自然の木々に囲まれるようになった。組合も刷新した。哲也は2代目たちに「1軒では土地は光らない。皆が結束して磨けば風情が生まれる」と教えた。2代目たちは木を植えることから始めた。1年また1年、寂れた山村の景色が緑で彩られていった。次に考えたのは露天風呂を皆でアピールすること。しかし2軒の宿だけ露天風呂が作れなかった。ある日、松崎の妻は久美子、露天風呂がなくてもお風呂が入れるなら泊まってくれる。お風呂巡りしたらと呟いた。どこの宿の風呂にも自由に入れる手形を作れば露天風呂を持たない宿にも客がきてくれるはず。松崎は会合でこのアイデアを切り出した。だが受け入れられなかった。それでも久美子は夫を励まし続けた。夫婦で何度も作戦を練った。松崎は手形の効果を根気よく説得していくと少しずつ空気が変わっていった。哲也が「進むのが一緒なら苦労するのも一緒だ」と言った。好きなお風呂に3つ入れる入湯手形の導入が決まった。効果はなかなか現れなかった。資金を出し合い広告もだした。するとじわじわと客が増え始めた。初年度6000枚だった手形の売上は、5年後には6万枚に増加。年間20万人の宿泊客が訪れるようになった。心がけたのは町全体でもてなすことだった。