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「明兒さん」 のテレビ露出情報

黒柳さんへのインタビュー。続編を書くきっかけになったのがウクライナの子どもたちへの思い。太平洋戦争が始まった1941年、黒柳さんは8歳。父は出征し、黒柳さんは東京大空襲で青森に疎開した。黒柳さんはウクライナのニュースを見ると、子供の時の戦争体験がオーバーラップするという。黒柳さんが特に伝えたかったのは、子どもにとって自由がないことの辛さだという。
黒柳さんは終戦を迎えると東京に戻り、戦後の混乱の中をたくましく成長していく。その後、オペラ歌手を目指して音楽学校に通うも、歌詞が覚えられるず、その後結婚するか、仕事をするか悩むが、お見合いしたこともあった。新聞広告で見つけたNHK専属役者のオーディションに募集し、見事合格。最初の仕事は笠置シヅ子さんとだった。黒柳さんは失敗の連続で、個性的な振る舞いは受け入れられないこともあったが、劇作家の飯沢匡さんが「おかあさんといっしょ ブーフーウー」に起用してくれた。その後最年少で「NHK紅白歌合戦」の司会も務め、手話で曲紹介も行った。テレビ黎明期、NBCプロデューサーが指導にきたが「運がよければ平和をもたらすこともできるかもしらない」と言われ、それを信じてテレビの世界で邁進した。
黒柳さんは1984年からユニセフ親善大使として飢餓や戦争で苦しむ子どもたちの支援を転てきた。しかし戦争は起きてしまっているが、黒柳さんは「戦争がどんなに大変なものかというのはよく分かっていたんで、ああいうことに絶対にならないでほしいと、心から祈って。今度のウクライナのことを聞くと、みんなどうしてるんだろうと思って…。やっぱりテレビがする仕事は、いっぱいあると思いますよね。」と語った。黒柳さんは若い人に「自分が進んでやれる仕事をやっていけば病気にならない」とメッセージを送った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年10月15日放送 7:00 - 7:40 NHK総合
NHKニュース おはよう日本42年ぶりのメッセージ
黒柳徹子さんは、俳優・司会者として活躍する一方、ユニセフの親善大使としても世界中の子どもたちを支える活動に取り組んでいる。小さい頃の思い出を書いた「窓ぎわのトットちゃん」もベストセラーになった。黒柳さんは42年ぶりに続編を発表した。
今月3日、「窓ぎわのトットちゃん」の続編が出版された。「続 窓ぎわのトットちゃん」、これまでは書いてこなかった自らの戦争体験[…続きを読む]

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