オリンピックの年とともにゆずの歴史を振り返った。1996年アトランタオリンピックの年にゆず結成。当時、持ち曲がなったのでキャンディーズの「春一番」を路上ライブでカバーした。初めての路上ライブで5000円を貰ったという。2000年シドニーオリンピックの年に環境の変化など葛藤の中で「嗚呼、青春の日々」が生まれた。ゆずのイメージをぶっ壊してやるぞという気持ちで書いた曲がオリコン1位になった。一方で楽しくやっていた「オールナイトニッポン」を辞める決断をした。2004年アテネオリンピックのために書いた「栄光の架橋」が大ヒット。オリンピックの取材で選手の話を聞くうちに勝者の歌ではない敗者の歌を作ろうと思ったという。「栄光の架橋」をきっかけにゆずのコンサートにアスリートの方が来るようになって楽屋挨拶でメダルを見せてもらうようになりメダルラッシュ。松任谷正隆さんとの出会いも大きかった。2008年北京オリンピックの年はデビュー10周年を終えて初めてスランプになり再び葛藤の時代に。様々なプロデューサーと新しい音楽の作り方を模索しゆず第二章へ。2012年ロンドンオリンピックの年は15周年ドーム公演「YUZU YOU」でファンと分かち合った。2016年リオデジャネイロオリンピックの年はリオで観戦したり選手にインタビューをした。2020年東京オリンピックの年にはコロナでツアー「YUZUTOWN」が中止となった。2月のミュージックフェア2800回記念コンサートを最後に1年くらいライブができなくなった。2024年フラワーアーティストAMKK(東信、花樹研究所)とコラボしたニューアルバム「図鑑」をリリース。ゆずの衣装も担当。「伏線回収」は令和版サマーチューンの一曲。