米津が歩んできた音楽人生を紹介。米津玄師はボカロPハチとして活動し、2009年に発表した「結ンデ開イテ羅刹ト骸」が異例の大ヒット。その後も次々と名曲を発表。幼少期に聴いた音楽について米津玄師はBUMP OF CHICKENやスピッツを聴いてバンドをやりたいと思った。初めて作曲したのは中1、中2くらいで弾き語りで作り、当時組んでいたバンドで演奏したりしていたと話した。
東海大学付属 浦安高等学校在学中で軽音部員の高校生バンド「ハイドランド」を紹介。日本最大級の音楽フェスROCK IN JAPAN FESTIVALにオープニングアクトとして出演。出演できるのはオーディションに参加した160組中4組で、彼らは結成約1年2か月で出演権獲得、結成時は全員楽器が未経験、ROCK IN JAPAN FESTIVALに出ていた先輩の姿を[…続きを読む]