37歳で一流不動産会社を辞め、瀬戸内海の離島で[?]を経営する早期退職さん。広島・竹原市にある竹原港からフェリーで30分の大崎上島で暮らす岩崎太郎さん。大崎上島の人口は約6500人、東京ドーム約800個分の大きさ。江戸時代から造船の島として知られ、船大工の技術と操船スピードを競い合う櫂伝馬競漕が年に1度開催されている。大崎上島に移住し、始めた仕事が車の色と深い関係がある。転身したのはレモン農家。広島県はレモンの生産量が日本一。大崎上島も雨が少なく、温暖な気候に恵まれ、レモンが育つには絶好の環境。太郎さんは岩崎農園を経営し、年間30tのレモンを収穫。完全未経験からサッカーグラウンド1面規模のレモン畑を築き上げた。太郎さんのレモンは地元の人たちに好評を博し、徐々に有名に。広島県内の居酒屋チェーンや牡蠣屋、東京の飲食店などからも卸の依頼が次々舞い込むまでになった。ベテラン農家と若い農家のパイプ役も担い、現在では大崎上島の農業委員長を務めている。農園だけでなく、2020年にはカフェもオープン。お店を切り盛りするのは妻の亜紀さん。亜紀さんも完全未経験からカフェを運営。看板メニューのレモンカヌレや島柑橘のタルト、レモンスコーンとどれも大人気。さらに島の果物をふんだんに使った手作りジャムも販売。手作りジャムは高級スーパーでも販売されるなど注目を集め、大崎上島のふるさと納税返礼品にも指定。2人は友人の結婚式で出会い、2001年に結婚。2人の子宝にも恵まれた。しかし、ここに来るまでは並々ならぬ苦労があった。1973年、京都の呉服店を営む両親の元に生まれた太郎さん。立命館大学を卒業後、家業は継がずに地元の京都で不動産賃貸業に就職。仕事一筋だった当時の年収は600万円くらいだったという。順風満帆な人生を歩んでいたが、多忙すぎる生活から36歳の時、早期退職を決意。始めは目的もなくゆっくりしようとしていた中で、引っ越す1年前に両親が引退して、田舎暮らしがしたいということで、大崎上島にたどり着いた。太郎さんの母の実家は隣の大崎下島。両親が先に京都から移住。つられるように太郎さん自身も大崎上島への移住を考えるように。しかし、夫婦の間にはまだ幼い子どもがいた。
