美川憲一は今年芸能生活60周年。新曲の「これで良しとする」はB’zの松本孝弘が作曲。作詞はGLAYのTAKUROが手掛けた。アメリカ・ロサンゼルスに家があり、松本も家があったので人を介して紹介してもらい仲良くなった。1番最初の事務所はお金がない事務所で、自宅を抵当にしてお金を借りて美川憲一を売り出してくれた。興行で疲れているのに、御酌させられるのが精神的に我慢できず、紙袋に700万円入れて社長に渡して独立した。デビューして15年過ぎたこと、スランプに陥った。その時期でも、温泉旅館の住み込みで1ヶ月、ギャラが600万円でた。1990年、タンスにゴンのCMがブレイクして復活した。さらにコロッケのモノマネも大きな助けになった。モノマネは、自分から、コロッケに私のモノマネをやりなさいとお願いしたという。紅白の衣装代は自腹で1億円だった。三河これまで総額6000万円の盗難や空き巣の被害にあってきた。パリに行った時に社長にバッグを持ってもらったら、社長がバッグを横に置いてしまい盗まれてしまった。現金500万円、貴金属5000万円分がバッグの中に入っていた。スランプの時に助けてもらったので許したという。