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「TEAM NACS」 のテレビ露出情報

用意したのは「大泉洋 年表」。北海道で誕生して51年、デビューしてから約30年になる大泉さん。その半生を振り返りながら対談をした。最初のポイントは「ブレイクまでの苦闘」。幼い頃から人を笑わせるのが大好きだったそうだが大学では演劇のサークルを選んだ。大学在学中の1996年、のちにブレイクする演劇ユニット「TEAM NACS」を結成。さらに同じ年に始まったのが北海道のローカル番組「水曜どうでしょう」。これをきっかけに地元で知名度が上がっていったという。芸能を生業にしようと決意した瞬間について聞くと大泉さんは「瞬間はないが、「水曜どうでしょう」が大学4年のときには人気が出てきていたので、北海道のローカルタレントで生きていくしかないと思った。何をするにも東京にはかなわないというコンプレックスもあった。そんななかで「水曜どうでしょう」は北海道の番組なのに東京の人はみられないという逆の現象が起きていることに痛快な思いがあった。」などと答えた。そんな大泉さんに転機が訪れる。「水曜どうでしょう」のレギュラー放送終了を機に上京したが、最初は役者ではなくバラエティータレントとしての出演だった。31歳のときに初めて出演した連続ドラマ「救命病棟24時」。医療現場のムードメーカーとしてスタッフを支える看護師を演じた。共演は江口洋介さんをはじめとしたトップ俳優。さらに篠原涼子さんと共演した「ハケンの品格」など様々な作品に出演し東京での活動は20年。仕事の幅もどんどん広がっていった。続いてのポイントは「マルチな活動の原動力」。大切にしている俳優業と並行して20年以上前から力を入れているのが音楽活動。先月その集大成としてベストアルバムもリリースした。アーティストの憧れである武道館でもライブを開催した。さらに歌だけでなくピアノも披露した。そして声優としての最新作が地元・北海道を舞台にしたコナン。大泉さんは「娘に出てほしいと言われた。どんなにマネージャーが勧めても娘が勧めなかったらやらない。娘から「私は将来パパみたいになりたい。だってパパは何の努力もしないでここまで来たんでしょう」と言われた。娘にも「パパだって努力していなかったわけじゃない。だけどパパ好きだったから努力だとも思わなかった。朝までお芝居の稽古したりしたよ。どの仕事しててもどこまで楽しめるか」と言った。」などと話した。大泉さんは来年の公開に向けて時代劇も撮影している。さらに紅白の司会は3年連続でつとめた。

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