あすは鉄道の日 日本の鉄道史

2024年10月13日放送 9:55 - 10:06 日本テレビ
シューイチ 今昔NEWSイッチ

明治5年に開業した日本の鉄道。その時の運賃は、新橋‐横浜間で、下等37銭5厘=5000円、上等1円12銭5厘=1万5000円と超高額。石炭が燃料の蒸気機関車が礎を築く中、日本初の営業用電車が明治28年に誕生。現在の京都駅付近から伏見を結ぶ約6kmを路面電車が走った。昭和2年に東洋初となる地下鉄銀座線が開通。浅草-上野間を結ぶ2.2kmで、開通初日の午前中だけで4万人以上乗車したと言われている。
都市部で当たり前となったモニター付きの車両。約70年前にも存在。昭和28年から白黒テレビが放送開始。その翌年から京阪電車が京都-大阪間でテレビカーなる特急列車を運行。家庭にテレビが普及する前だったこともあり、人気を集めていたという。昭和46年にはカラーテレビを設置した電車も運行。テレビカーは京阪電車の代名詞になった。平成2年にJR山手線で椅子なしの車両が導入された年、通勤電車初の文字放送サービスが開始。携帯電話などのインターネットサービスが始まる前だったため、ビジネスマンに喜ばれていた。
昭和34年に登場したのが修学旅行専用列車ひので号。ベビーブームの時に誕生した子どもが学生に成長したこの時代、修学旅行の需要に応えるため専用列車が登場。品川-京都を結ぶ専用列車ひので号の車内には、荷物置き場や折りたたみ式テーブルが据え付けてあったり、洗面台やトイレを増やすなど子どもたちが使いやすいように工夫。今でも関東の学校を始め様々な地域で修学旅行専用列車は運行している。
1960年代に見られたのが通勤地獄と呼ばれた超満員電車。都市部に人口が集中した高度経済成長期で、東京の人口は1000万人を突破。乗車率は300%を超えていた。乗客を押し込む押し屋や、ホームに下ろすはがし屋と呼ばれるスタッフが活躍していた。しかし、怪我をする人や電車の窓ガラスが1日に30枚も割れるなどが毎日繰り返されていた。通勤以外でも、大晦日の上野駅は帰省客とスキー客で超満員だった。体が外にでていても出発するという光景が。あまりの混雑に、上野駅の外に巨大テントを設置。夜行列車待ちの客でテント内は溢れ、いつしか年末の風物詩になった。夏の混雑シーズンには麻雀で時間つぶしする人もいた。終戦直後の昭和20年にも満員列車が存在。戦時中や戦後に見られた買い出し列車。当時深刻な食糧難で配給が十分に行き渡らず、農村へ買い出しに行く人が絶えなかったという。
今月1日に60周年を迎えた東海道新幹線。昭和39年の東京五輪開幕に向け開業し、当時は世界最速の最高時速210キロで東京-新大阪間を最速4時間で結んだ。開通に向けては様々な苦労も。その1つがトンネル工事。東海道新幹線最大の難所と言われた静岡の新丹那トンネルは約8kmと最長。掘りにくい地盤に加え湧き水などにより工事は難航。しかし近代土木技術を集結させ昭和37年9月、3年の月日をかけて貫通。さらに在来線の線路を使って新幹線を運ぶため、実寸台のモデルを造ってテスト。各所の障害物を係員がメモし回収。こうした努力により東海道新幹線は昭和39年10月1日に開通。現在では時速285キロまで進化し、東京-新大阪間の所要時間は最速2時間21分まで短縮。
昭和62年に国鉄民営化。国鉄最後の人なった3月31日、日本テレビは「さよなら大放送 国鉄スペシャル」と題し特別番組を放送。芸術家・岡本太郎や原田知世、石川さゆりなどが生出演。目玉企画だったのが、歴代のSLの汽笛を使った「蛍の光」の生演奏。国鉄は115年の歴史に幕を閉じた。


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