ファミリーヒストリー (ファミリーヒストリー)
松岡節子の祖父は修造と同じ名前、松岡修造。初めて松岡姓を名乗ったのはおよそ250年前の当主。初代修造は安政6年に誕生。米の取り引きを営んでいたという。当時米の価格は毎月のように乱高下を繰り返していたが、初代修造は持ち前の頭脳と勘の良さで財を成した。
大正11年、初代修造は船会社を創業した。初代修造は浮き沈みの激しい海運業界でも勝負強さを発揮。修造の曽祖父潤吉が船会社を継いだ。潤吉は実業団スポーツの運営も行い、合宿にも参加していた。
昭和5年松岡節子と辰郎は結婚。辰郎は松岡性を名乗り、修造の父功が誕生。太平洋戦争では松岡汽船など民間の船も輸送船として徴用された。終戦、松岡汽船は14隻の船と237名の船員を失った。