NNNドキュメント’24 (NNNドキュメント’24)
長生炭鉱水没事故は太平洋戦争開戦2か月後に起こった。いまだ183人の犠牲者が残されている。地元の市民団体が毎年、追悼式を行っている。30年以上も活動を続けてきた。アジアの国や地域を統治下におき領土と勢力圏を広げた日本。朝鮮半島も支配した。戦時下の労働者不足を補うため挑戦から70万を超える労働者が渡った。工業都市の山口・宇部市の礎となった宇部炭鉱。最盛期には海底炭鉱として全国屈指の生産量を誇った。その1つ長生炭鉱は藪の中。市民団体は藪を切り開き希望者に勉強会を開いている。事故のことを残し伝えるためだ。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会は遺骨を収集し遺族への返還を目標にしている。いずれは水没した公道内に入らないといけない。2015年には専門家に依頼し地下に眠る坑道の入口を探し当てた。長年、市や県、国に対し調査や支援を求めている国では所在が分かる場合は返還のために実地調査を実施するが、長生炭鉱では遺骨が海底にあるため対象外。国は見える遺骨しか調査しないというのだ。長生炭鉱の場合は海底から47mより浅いところを掘るのは法律で禁止されている。しかし最深で37mで違法な操業を続いていた。逃亡は度々、起こった。炭鉱で働く朝鮮半島出身者の割合は全国平均で15%。しかし危険とされた長生炭鉱は8割を越え4ケタの番号で管理されていた。韓国から毎年のように犠牲者の遺族が訪れる。ピーヤから捜索したこともあったが濁って何も見えなかった。行政に対し調査や支援を求めているが月日だけが流れている。今も韓国からの訪問は耐えない。犠牲者の子ども世代は年を重ねた。