クラシエ 岩倉昌弘 トップへの岐路

2024年9月29日放送 16:02 - 16:17 テレビ東京
プレイングマネジャーの勇断〜トップへの岐路〜 プレイングマネジャーの勇断

ドラッグストアでよく見かける人気商品「葛根湯」「いち髪」「旅の宿」「甘栗むいちゃいました」、これらを作っているのがクラシエ。商品は知られるが会社名はそれほどなのにはその沿革にある。クラシエの歴史はわずか17年、従業員数は1790人、主力事業は日用品・薬品・食品、計約60ブランド・商品数1000種類以上。クラシエ社長・岩倉昌弘(62)。クラシエの前進はカネボウ。創業1887年(明治20年)、綿商社として創業。1961年、化粧品事業に参入。そのほか日用品・食品・薬品など、当時ペンタゴン経営と称賛された。しかし2004年、巨額の債務超過で事実上の経営破綻、産業再生機構の支援を受けることに。岩倉はまさにその時プレイングマネージャーとして会社再建に向け最前線で奮闘していた。岩倉は1985年、22歳で鐘紡に入社、大阪支社の販売部に配属。優秀な営業成績を収めていく岩倉は2000年、39歳で東京本社の総務で人事課長に。そのころ岩倉は本社の不穏な陰を感じ取る。バブル期に不動産に手を出し巨額の債務超過に陥っていた。その損失の穴埋めに稼ぎ頭だった化粧品部門の利益が使われていた。ところが社内に危機感はなかったという。2002年、40歳で大阪支店販売部30人以上を率いる販売部長に。会社の経営状態が思わしくない中、「金をかけずに売上げをあげろ」と司令が。そんな中、岩倉は転換期に直面。2004年3月、産業再生機構に支援を要請。事実上の経営破綻。産業再生機構の指導のもと、化粧品事業は花王に売却、繊維事業はセーレンに売却。残った日用品・薬品・食品のブランド再生プロジェクトが立ち上がる。当時の看板商品「ナイーブ」をリニューアル、そのプロジェクトリーダーに抜擢されたのが岩倉だった。(日本経済新聞)
再生への苦闘と決断。岩倉は旧カネボウ側と産業再生機構側の板挟みで気持ちが揺れ動いた。リニューアル会議には産業再生機構側のメンバーも参加。旧カネボウ側と産業再生機構側、当初はお互いが噛み合わないままだった。岩倉たちは資金をかけずにこれまで通りの気合と根性で乗り切るリニューアルを考えていた。一方機構側は大胆に投資をする思い切ったリニューアルを求めていた。岩倉が直面した大きな岐路。決断に踏み切るきっかけは客観的に聞いた両者のやり取りだった。岩倉はそれまでのプライドを捨て積極的に機構側にアドバイスを求めるようになった。旧カネボウのメンバーも理解を示し潮目が変わった。チーム全体で機構側のアドバイスを取り入れ資金も投入していくことになった。そうして岩倉たちが出した「ナイーブ」のリニューアル案はボトルの刷新、詰め替えやすいよう口を大きく広げた。そのため製造ラインに大幅な資金を投入。さらに新たな成分を配合し品質も大幅改良。「ナイーブ」の売り上げはアップ、復活への足がかりを掴んだ。2007年、45歳でクラシエ発足後に執行役員に就任。2018年、57歳でクラシエホールディングス社長に就任。何かを成し遂げるためにはリスクを恐れてはいけない、それをカネボウの破綻から学んが岩倉は今年、クラシエホームプロダクツ、クラシエ製薬、クラシエフーズを1つの会社に統合した。3事業で培ってきたノウハウを融合させ新たな相乗効果を生み出すのが狙い。一方で岩倉は昔ながらの付き合いも大切にしている。この日集まったのは再生プロジェクトで戦ってきた各部門のリーダー。プレイングマネージャーへの提言「あえて難しい道を選んでもいいと思う」。


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