午後LIVE ニュースーン ト~クシュン
デフリンピックはオリンピック同様4年に1度開催される国際的なスポーツの祭典で、今年は100周年で初めて日本で開催される。松元卓巳さんは、生まれとた時から聴覚に障害があり普段は口話や手話を使って話をしている。またスタジオには手話通訳士の保科隼希さんが登場。今回のデフリンピックでデフ陸上日本選手団の専属通訳を担当する。松元卓巳さんは福岡県在住で現在36歳、ポジションはゴールキーパー、鹿児島実業高校出身で2023年デフサッカーのワールドカップで銀メダルを獲得し優秀ゴールキーパー賞を受賞している。デフサッカーは音のないサッカーと言われており選手は視覚からの情報を頼りにプレーしている。コミュニケーションは手話や身振り手振り、遠くの仲間にも分かるよう大きな動作で伝える。常に首を振って周り確認している。松元さんは、デフサッカーは後ろからの声なども聞こえないのでアイコンタクトや手話が重要になると話した。松元さんが試合中大切にしているのは声を出すこと。松元さんは、「元々普通のサッカーをやっていて高校2年生の時にデフサッカーに出会ったので自分のプレースタイルを変えるのは違う、声を出すことでその熱が伝わればいいという気持ちでやっている」と話した。2007年の日本代表の写真を紹介。当時は代表といってもスポンサーは少なく練習環境も恵まれていなかった。また日本の選手はほとんどが仕事をしながら競技を続けているという。松元さんは、「海外ではプロでなくてもアスリートとして生活をしている選手が多いので、そういった部分でも海外に比べて日本はまだ環境が足りない部分がある」と話した。デフリンピックの開催などもありデフスポーツなどの認知度も少しずつ上がってきている。2年前、日本サッカー協会が障害の有無にかかわらず日本代表のチームは同じユニフォームを着て試合に出るという方針を示した。松元さんは、「2023年の4月に合宿に向かっている途中のバスの中で若い選手がネットニュースで見て知った。協会はサプライズで着いてから発表する予定だったが先に知ってしまった、代表のユニフォームを着られるまで17年かかったが言葉では表せない感情で涙もでてきた」と話した。今年4月、日本代表が足を踏み入れたのはサッカーの聖地国立競技場。JFLに所属するクリアソン新宿との一戦。惜しくも負けてしまったがデフサッカーの歴史に新たな一歩を刻んだ。開場には4000人近くの観客が詰めかけエールを送った。デフサッカー日本は11月14日からイギリス、イタリア、メキシコと試合。松元さんは、「金は自分の中ではもう取っているのであとは11月に現物をもらうだけだとおもっている」と話した。
