トットちゃんの学校 戦時下に貫いた教育の夢

2024年7月13日放送 8:19 - 8:28 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 トットちゃんの学校 戦時下に貫いた教育の夢

大正10年、日本はつかの間の平和の中にあった。時代は大正デモクラシー。学校制度が整えられ子どもたちの就学率も上がっていた。そんな中、東京音楽学校、後の東京藝術大学を卒業したばかりの若き音楽教師がいた。小林宗作28歳。音楽の楽しさを伝えたいと意気込んでいた。自らオルガンを弾く小林は子どもに人気の先生だった。しかし心の奥にある葛藤を抱えていた。当時多くの学校で徹底していたのは一斉教授の模倣。図画の授業は好きなものを描くのではなく、見本を正確に写し取らせる。作文も大人が書いた手本を書き写して教え込む。そして音楽。大人が教えたい道徳的な内容を盛り込んだ唱歌ばかりだった。小林はいらだちを込めてつづっている。「こんな心持ちが子ども心のどこにあるか。心にもないことを歌わされている子どもがかわいそうでならない」。小さい時の無邪気な歌声が年が上がるにつれ消えていく。音楽教師としての自分に限界を感じた小林は30歳で教師を辞めた。
新たな教育を探し当てもなくヨーロッパへ向かった小林にある出会いがあった。その様子を聞いた人物が小林の娘、本間みさをだった。出会ったのは国際連盟事務次長を務める新渡戸稲造。当時話題になっていた学校を紹介してくれた。その学校はパリにあった。感性の豊かな音楽家を育てるために考案された「リトミック」という方法が実践されていた。大事にされていたのは自分の中に流れるリズムに逆らわないこと。日本の教育との違いに驚いた小林はここで学ぶことを決意。小林の孫の家にはパリで研究に打ち込んだ時の資料が残っている。言葉も通じぬ異国の地で1年間、小林にある思いが芽生えた。教師の役目は子どもの好奇心をくすぐり自らのリズムで学べる環境をつくることなのではないか。小林はもう一度教壇に立ちたいと思った。昭和12年4月、小林の考えに賛同した人々の支援を得てトモエ学園が開校。くしくもその年、日本は日中戦争へと突き進んでいく。教室には子どもたちがワクワクするようにと使わなくなった電車の車両を持ち込んだ。この新しい学校にはさまざまな事情のある子が入学してきた。高橋彰は体の成長が止まってしまう病気だった。いつも小さな身体を気にしていた。桂るり子は祖父がフランス人だったので差別を受けていた。黒小柳子は活発過ぎる言動が、他の子の迷惑だと小学校を1年生で退学になった。


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