ヒロシマ 世界を動かした2人の少女

2025年6月2日放送 22:04 - 22:44 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀 バタフライエフェクト)

佐々木禎子は被災当時2歳で、爆心地から1.6kmの自宅で母たちと暮らしていたという。一家は太田川から避難しようとしたが、そこに放射性物質を含んだ黒い雨が降ってきた。両親は生活の再建を行っていき、佐々木禎子は大きな病気をすることなく小学生になった。一方で広島駅から近い場所にいたのが中村節子だ。中村節子は陸軍施設で暗号解読の手伝いをしていたという。中村節子は原爆で親族を亡くしたという。広島では年末までに14万人が亡くなったとされる。GHQは情報統制によって被爆地の様子は広がることはなかったという。
原爆によるケロイドは差別の対象になり、特に若い女性のケロイドは結婚や就職の壁になったという。そんな女性たちを救おうとしたのが牧師の谷本清だったという。1955年に谷本清は25人の女声をアメリカに連れていき治療を受けさせたという。中村節子はそんな谷本清の活動を助けていたという。その活動を通じて中村節子はジム・サーローと出会い結婚した。
1952年に日本は独立を回復し、原爆被害の現実について報じて、日本中が原爆の被害について知ったという。2歳で被爆した佐々木禎子は11歳の冬に急性リンパ性白血病になり入院した。そうした中で名古屋の高校から原爆患者のために千羽鶴が贈られてきて、自分でも鶴を折るようになったという。佐々木禎子は病状が悪化しても鶴を折り続けたという。しかし佐々木禎子は8か月の闘病の末に亡くなったという。そしてジャーナリストのロベルト・ユンクは戦後原爆の被害の実態を世界に伝えた本「灰墟の光」を出版した。
アメリカの人からの被爆者の声を伝えようとする人がでてきた。バーバラ・レイノルズは核廃絶をする署名活動を行い、被爆者と世界巡礼を行って被爆者の声を伝えていった。1964年には被爆者とハリー・トルーマンとの面会に成功した。中村節子はカナダ・トロントで生活し、そうした中で被爆体験を子どもたちに語るようになったという。またエレノア・コアが書いた「サダコと千羽鶴」は海外の学校教育にも取り入れられるようになり、世界中の子供達に広く読まれるようになった。そして折り鶴は核廃絶と平和を願う人達の象徴になっていった。
1982年6月。ニューヨークには核廃絶を求めて100万人が集まった。デモ行進には中村節子も参加したという。2012年の8月に行われた広島の平和記念式典にはトルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルが参加していた。2017年に85歳になった中村節子は国連を訪れて、核兵器禁止条約が採択された。さらに2017年のノーベル平和賞にはICANが選ばれた。佐々木禎子の友人だった川野登美子さんも佐々木禎子のことを次の世代に語り継いでいる。


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