週刊さんまとマツコ プリンセス天功の壮絶人生グラフを深堀りして天功埋蔵金のヒントをもらおうSP
1977年に初代が心筋梗塞で倒れてプリンセス天功が代役で大脱出ショーをやらされたという。それまでマジックもやったことがなかったが某局のプロデューサーが女の子の方が視聴率がとれるからと決まり、吉村は台本に書いてあるワードだけでもやばいと話しその一部として当時16歳だったが消防法違反になるため19歳ということになった紹介した。そして、大脱出方法などを聞いて、10何mから落とされ、1発目のダイナマイトの爆発で耳の鼓膜が破れたという。その後熱が出るがその某局プロデューサーが絶対病院に行くなと言われたという。さらに初代には当時25~90歳の弟子たちによる嫉妬はすごく、90歳の弟子からのイジメはすごく怖かったという。
78年にマジシャンアイドル朝風まりとしてデビュー。当時ピンク・レディーが全盛期で歌って踊れてマジックができるようにと当時のジャケットなどが公開された。ちなみに同期はサザンでアシスタントがMr.マリックさんだったという。オリコンに入るなどしたが初代が亡くなり後援会から女の子でもちゃんとやればできるからやりなさいと言われたが一度断ったが、「日刊スポーツ」が天功さんが2代目を継ぐと報じてしまい今につながっている。その後人気は急上昇し86年にプロ野球でのハーフタイムショーを世界で初めて行った。