ジャンクSPORTS 世界一アスリート
谷は現役時代、相手選手から研究対象にされることに苦労したそう。海外選手との練習試合では数十台のカメラで撮影され、当初は抵抗があったものの、「試合では使わない技をわざとやる」などの方法で対処していたそう。澤が現役だった頃はサポート環境が整っておらず、海外での試合時には食事を持参していたそう。W杯優勝で待遇が改善されたものの、帰りの飛行機は年齢順で上位10人だけがビジネスクラスに。今はチャーター機が使われているんだそう。
第1回WBCで優勝した里崎。初回大会であり環境が整っておらず、数十万円分使えるカードを渡され滞在中の食事を賄っていたんだそう。このため全て外食。ルームサービスを頼もうにも英語がわからず、唯一読めた「ピザ」を頼んだはずが、届いたのは山盛りポテトだったそう。水谷が東京五輪に出場した時のこと。その日の占いで「ラッキーカラーはピンク」と紹介されたため、相手の中国選手に相談のうえ赤いユニフォームを着用。結果、優勝につながったそう。
谷は現役時代、五輪などの試合前日に選手村ベランダでイメージトレーニングをしていたそう。シドニー五輪のときはこの練習中に青い鳥が飛んできたそうで、翌日の試合で優勝。その4年後のアテネ五輪でも同じように練習していたところ、今度は緑の鳥が。その翌日の試合でも優勝。高木が平昌オリンピックのマススタートに出場した時のこと。レース展開が全て自分の想像通りに進んでいったそう。