24時間テレビ48 (24時間テレビ48)
CODAとは、耳が聞こえない、耳が聞こえにくい親をもつ子どものことで日本国内に2万2000人ほどいると言われている。CODAとして生きてきた女性を取材。吉冨さくらさんの両親は耳が聞こえないろう者だという。さくらさんの姉2人も耳が聞こえないので家族の中で聞こえるのは1人だけだという。現在は東京で1人暮らしをしているさくらさんだが、幼いころはわんぱく、お転婆だったという。口で話すより先に手話を覚えたというさくらさん。家族との会話は全部手話で幼少期に自然とおぼえたという。幼少期に友達の家に遊びに行き、1時間遊ぶ時間を延ばしたいとなった時に家に確認の電話をかけれらず他の家との違いを感じたという。ダンスの習い事で親による衣装を決める話し合いがあったが、母親はその会話から置いていかれるということがあったという。その当時のことについて、さくらさんは楽しい自分の好きな音楽を母と共有できなかった、聞こえていたらどんな会話があったかなと想像したことはあるなどと話した。さくらさんは18歳の時、夢を追うため上京を決意。それでも聞こえない家族を残して上京することに心配もあったという。それでも母親はさくらが生まれる前に戻るだけだから大丈夫と背中を押してくれたという。さくらさんが上京後、吉冨家では様々な工夫をして暮らしている。インターホンを押すと光るセンサーやお湯が沸くと光るケトルなど活用しているという。様々な技術は聞こえない人だけでなくCODAも救うかもしれない。さくらさんの甥のかなとくんもCODA。かなとくんにとっても手話が第一言語。しかし、手話から遠ざかるCODAもいるという。さくらさんも小学生くらいの時、保険会社の人から母親に電話が来て、専門用語が手話で訳せずに伝えたいのにできないもどかしさがあったという。でもその時に母親は「ごめんね、本当はあなたのやるべきことではないよね」と分かっていてくれたという。CODAが家族を助けなければならないという重圧に押しつぶされてしまわないために必要なのは社会が変わって行くことだとさくらさんは話す。障害は当事者の障害ではなく社会とつながる上での障害だと思うので環境が整えばCODAもろう者も負い目を感じることがなくなると思うと話した。いとうあさこはろう者の方が困ることが多いのが電話だとし、電話リレーサービスというものがあると紹介。