ウェークアップ (ニュース)
栃木・足利市の小俣幼児生活団。主任保育士は97歳。ピアノを弾くと自然と子どもが歌い出す。大川繁子さんを取材。幕末から明治に地元の織物産業を支えた大川家の屋敷と広大な敷地が戦後保育園に。母屋は国の登録有形文化財。一般的な保育園とは異なり決められたスケジュールはなく、どう過ごすかは子供たちが自分で決める。給食はバイキング形式。大川繁子さんは次男で園長の眞さんに連れ添われて出勤。東京出身の繁子さんは終戦後、大川家へ。義理の母がこの屋敷で保育園を始めることを決め、繁子さんは育児をしながら保育の道へ進むことになった。繁子さんの教え子は3000人以上に上る。当初は一般的な保育と変わらないものだったが次男の眞さんが園長になると今の独特なスタイルに舵を切った。先回りせず子どもの意思表示を待つ。喧嘩は成長に必要な物。大事なのは自分たちで話し合って解決できる力。繁子さんは年を重ねるにつれ、現場に出る時間が減りつつある。読み書きの能力でなくやってみたいという意志をはぐくむ。
保育園では毎年近くの田んぼで米を育てている。秋になるとかかしを作るのが恒例だがここでも押し付けず子どもたちに決めさせる。繁子さんは今もリトミックと言う曲に合わせて体を動かす音楽教育を続けている。今日からできる子育てのコツについて繁子さんは「いま2人で子供との付き合いを楽しくできるように。」などと話した。