昭和百年(1) 戦時下の宰相たち

2025年8月25日放送 22:04 - 22:44 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀 バタフライエフェクト)

1930年に選挙で勝利したのは第27代首相の浜口雄幸。5年前に普通選挙が成立し、有権者の数は4倍になり、議員たちは支持獲得に躍起になった。当時は政治と国民の橋渡しになっていたのは新聞だ。当時の日本は世界恐慌による不況のただ中だったので国家予算の大きな比重だった軍事費を抑えたいという思いがあったという。
しかし1931年に満州事変が起こり、首相の若槻禮次郎が知ったときにはすでに兵が動き出しており、軍の動きを追認するしかなかった。そして1932年に満州国が建国された。そして軍需と輸出の拡大で失業率は改善した。新聞も国民が喜ぶ記事を書き続けた。一方で首相の犬養毅は軍の動きを警戒し、欧米との強調を重視していた。ただ犬養毅は海軍の将校らに暗殺された。
後任は海軍大将だった斎藤実で、ここで政党内閣は終了し、軍は国民を巻き込んだ大規模な防空演習をするようになったという。1936年には二・二六事件起こり,政界の重鎮である高橋是清や斎藤実らが暗殺された。そして軍部は武力をチラつかせながら政治に干渉し始めた。そうした中で近衛文麿が首相になった。
19737年に盧溝橋事件が起きた。日本軍と中国軍が激突して中国との戦争は拡大した。近衛文麿は軍部の圧力に負けて、国家総動員法を出した。近衛文麿は国民の協力を引き出すために日本放送協会のラジオを使ったという。こうした戦争の熱狂の渦に多くの文化人も飛び込み、吉本興業の漫才師なども飛び込んだという。近衛文麿はイタリアとドイツと同盟を結んでアメリカに対抗しようとした。そしてアメリカは日本への石油の禁輸に踏み切った。そして近衛文麿は首相の座を投げ出した。
後継は東條英機が首相になった。世論は対米強行に傾いており、軍部も国民の熱狂を抑えることはできなくなっていた。東條英機が就任してから2ヶ月後に真珠湾攻撃が行われた。しかし戦況は悪化していき、東條英機は辞職した。その後は鈴木貫太郎が首相になり、1945年の8月15日に終戦を実現させた。終戦の2日後に鈴木貫太郎は辞任した。
戦争が終わると国民の熱狂は戦争指導者たちへの怒りに変わった。戦争を主導したとして東條英機は死刑になり、近衛文麿は自宅で自殺したという。戦争責任は政治家だけではなく菊池寛なども責任を問われたという。


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