news every. 老舗にしか出せない味がある 家族で守る東京100年食堂 第7弾
創業当時は幕末で屋台で始めたため立ち食いのような形で始めたのだという。明治3年に今の場所に店を構え、店名も中川の「中」と2代目の「清五郎」から「中清」にしたのだという。敬規さんは父が58歳の若さで亡くなり店存続のピンチが迎えたが、店を継ぎ、かおるさんと結婚、優太さんが誕生した。その後順風満帆だったが、東日本大震災の発生で余波は店にも及び、震災の翌日から売り上げはほぼゼロになる日々が続いたという。現在、外国人観光客に人気なのが「海老丼」だという。敬規さんは、息子の代にバトンタッチできるので200年に向けて時代の流れと共に歩んでいってくれたらと話した。