アスリートの魔曲 (アスリートの魔曲)
智弁和歌山高校の「ジョックロック」は魔曲と呼ばれる。この曲が魔曲と呼ばれるきっかけになった試合が2000年夏の甲子園、柳川高校戦。4点リードされて迎えた8回裏、智弁和歌山の攻撃で流れたのは「ジョックロック」。ホームランで1点を返し3ランで同点に。延長11回裏にまで及んだ死闘でサヨナラ勝利。8回裏から試合終了まで智弁和歌山の攻撃中に演奏されていたのは「ジョックロック」。この試合以降、ジョックロック=魔曲というイメージが定着し、他校からは恐れられるように。智弁和歌山応援団はチアリーダーや吹奏楽部を統率する。応援団の入団条件は成績優秀かつ品行方正であることで、学校の模範生でないといけない。進学校の中でも模範生の応援団が指揮するため統率がとれる。応援団は文化祭を最後に世代交代。魔曲ジョックロックを引き継いでいくためにも文化祭がとても需要だという。生徒手動の練習は臨機応変な対応力を高める。野球の応援では試合展開に合わせた応援が求められるため、何十曲ある応援を合図一つで瞬時に繰り出す必要がある。応援団の声に一般生徒が呼応する連鎖が魔曲を生み出す最大の要因だ。