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角田夏実は32歳の春に、選手としてひとりの女性としてどう生きていくかの選択をしようとしていた。1年前に夢の舞台でみせた巴投げ。日本柔道女子史上最年長の金メダルとなった。しかし迷いにこれから先も柔道だけを頑張ればいいのか?金メダリストとしての自分と32歳の女性としての自分の生き方を考えた。3月、後輩たちに混じって練習する角田選手。3年後のオリンピックでの連覇を望まれているが、その未来が見えないと吐露した。きっかけとなったのはパリ大会あとの復帰戦となった2月の試合。これまでに感じたことのない不安に襲われたという。
パリ大会の道のりはをともにした角田のコーチの今井優子さんもその変化を感じていた。金メダリストの重圧を感じていた角田選手。4月に角田は全日本女子選手権に出場した。階級別ではなく体重別の無差別で争う。最軽量の48キロ級の角田選手にとっては不利な大会。しかし柔道と向き合いたいとあえて参加した。一回戦で角田選手は巴投げを狙いにいき、3回戦では相手におされる展開になると笑みをこぼしたが判定負け。3年ぶりの敗戦に、試合後に角田選手は柔道が好きだと感じられたという。
角田選手は8歳の頃に父に連れられて8歳で柔道を始めた。しかしなかなか勝つことが出来ずに楽しいとは思えずにいた。高校を卒業を機にやめることも考えたというが、指導者からの声掛けに柔道人生が変化する。東京学芸大学の当時の監督の射手矢さんの元で自分の強みをみつけて磨き上げる楽しさに気付いた。大学卒業後には頭角をあらわした角田選手は、たちまち東京オリンピックの選考レースに名乗りを上げた。しかし世界トップレベルのライバルに阻まれ、代表の座を逃した。ここで異例の決断に階級をひとつ下げる決断をした。一ヶ月に6キロの過酷な原料を行い、度重なるけがをしながら勝利のために 全力を尽くした。そしてパリ五輪へ。31歳11カ月のし上最年長での金メダルだった。
角田選手はオリンピックで再びやりきった感をもう一回だせるか?と考えた時にモチベーションが落ちてし合うと語る。角田選手は世界選手権の出場を見送り、柔道から距離を置くことにした。