私のバカせまい史 (私のバカせまい史)
日本で最初のラストランは1962年6月15日、戦前~高度経済成長期まで活躍した「岡崎馬車鉄道」。式典に鉄オタの姿はなく最後は少し寂しい幕引きとなった。1964年、東海道新幹線の登場で数々の鉄道が廃線の憂き目にあった。1965~75年、全国各地のD51形蒸気機関車が姿を消した。1973年7月9日、「D51 827号」のラストランには500人以上の鉄オタが集まった。1970年代後半、新幹線・高速バスが普及し寝台列車の衰退が始まる。2008年3月14日、寝台急行「銀河」のラストランには約2000人の鉄オタが集まった。
2009年8月30日、「名鉄 7000系」のラストランには約500人の鉄オタが集まった。2010年3月12日、急行列車「能登」のラストランには約3000人の鉄オタが集まった。2012年3月31日、十和田観光電鉄の前線廃止のラストランには約300人の鉄オタが集まった。地元の中学生による演奏「旅立ちの日に」に乗せて見送られた。廃線から約3年後、最終運行を担った2両が大井川鐵道で復活を遂げた。