【西田敏行さんをしのんで】ファミリーヒストリー選「西田敏行」 (西田敏行)
昭和28年に西田敏行は今井から西田に性が変わった。養父の西田辰治と養母の西田美代と西田敏行の3人は神社の社務所で暮らし始めた。どんな小学生だったのか当時の同級生に話を聞いた。神社の境内は西田敏行らの遊び場だった。当時の西田敏行はモテていたと思い出話をした。西田辰治は郡山市役所で働いていたが生活はギリギリだった。西田美代は伝染病で娘を亡くしたことがあったので、西田敏行の衛生面には神経質だった。西田辰治は土曜になると西田敏行を連れて町中の映画館に連れて行ってくれたと語った。その影響で西田敏行は小学校の演劇クラブに入った。俳優になりたいと両親に伝えたのは中学生の頃だ。両親は背中を強く押してくれた。高校に入る頃には標準語が喋れるように上京した。そして昭和43年に青年座俳優養成所に入所し役者修行に入った。そして父も上京してきて東京で3人暮らしが始まった。両親は働きながら息子の夢を応援した。そうした状況に西田敏行は焦りを感じていた。西田敏行は自分の強みを見直して舞台「写楽考」やドラマ「池中玄太80キロ」で活躍するようになった。俳優25周年パーティーには西田辰治と西田美代を招いて祝った。ただそれでも両親は西田敏行を心配していたと伝えた。