養父の実家「西田家」 鹿児島・薩摩藩の武士

2024年10月20日放送 0:21 - 0:32 NHK総合
【西田敏行さんをしのんで】ファミリーヒストリー選「西田敏行」 (西田敏行)

敏行が養子へ行った福島・郡山で暮らす西田家。養父の西田辰治から敏行は西田家のルーツを聞いたことがないという。番組で調査したところ、辰治の父で敏行の祖父にあたる英吉、その父で敏行の曽祖父にあたる源左衛門の出生地は鹿児島市清水町だということがわかった。さらに鹿児島県立図書館に保管されている幕末の藩主・島津忠義の記録に西田源左衛門の名前が記載されてあった。役職は火薬と砲弾の製造を行う火薬局を取り仕切る武士だった。さらに安政6年に描かれた絵図には源左衛門の屋敷の場所が描かれてあった。また島津家で篤姫の世話係をしていた池端喜八郎のひ孫は加山雄三、その近所に住む武士・萩原一兵衛のやしゃごは恵俊彰だという。それぞれの屋敷もこの絵図に載っていた。
文久3年7月、薩英戦争が勃発した。その前年に薩摩藩の大名行列が現在の神奈川県に位置する生麦村にさしかかった際に、横切ったイギリス人たちを薩摩藩士が切りつけた生麦事件がきっかけ。源左衛門たち火薬局は飛び交う砲弾をかいくぐり戦闘の最前線へ弾薬を運び続けたといわれている。開戦から3日後、イギリス側の戦死者は13人、薩摩側は5人。満身創痍となったイギリス艦隊は撤退した。
源左衛門のひ孫で敏行とはまたいとこの関係であることがわかった永田順子さんは源左衛門が暮らした屋敷の場所を伝え聞いていた。明治10年の西南戦争で鹿児島の街は90%が焼失。西田家の屋敷も全焼している。その後の源左衛門の記録は残されておらず、これ以上追跡することはできなかった。しかし、外務省外交史料館に源左衛門の息子で敏行の祖父・英吉の直筆の履歴書が残されてあった。西南戦争に17歳で参加した英吉は翌年に鹿児島県警に就職し、明治13年には外務省へ転じた。


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