開運!なんでも鑑定団 (開運!なんでも鑑定団)
続いての依頼者は写真のインスタグラム投稿が趣味という三川辰宏さん。カメラの咲きには枯れかけのひまわりが映っていて、咲いているひまわりとの対比を映していたという。お宝は骨董商だった義父・庄八郎さんが譲ってくれた掛け軸だといい、円山応挙や狩野探幽などの名前もあったが、選んだのは与謝蕪村の山水画だったという。重厚な山水の表現と手前側の愛嬌がある人物描写の対比に惹かれたと三川さんは振り返っていた。
与謝蕪村は「春の海 ひねもすのたり のたりかな」などの俳句で知られ、松尾芭蕉と肩を並べる存在として知られ、ユーモラスさとともに深い詩情を併せ持つ人物であり、俳人と南画で大成した。摂津の生まれで20歳で江戸に下ると芭蕉門下の夜半亭宋阿に弟子入するが、27歳のときに宋阿が没すると北関東や東北を放浪し、生活のため独学で絵を描き始めると絵師としても存在感を出す。狩野派や沈南蘋の作品を模して腕を磨いたが、とりわけ傾倒したのは世俗にとらわれず自由気ままに生きる文人画であり、透明感のある色彩を用いて日本的情緒を漂わせた独自の様式を生み出す。「山野行楽図屏風」は秋の山道を行く文人たちを描いた作品で、右隻では優雅に馬に乗っているが左隻では酩酊して世話をされながら山を登る姿が描かれるなどしているが、いずれも秋の清々しさが見られる。日本らしさのある文人画は中国のものと区別するため南画と呼ばれ、池大雅などとともにこれを確立していった。俳画は蕪村の才能が発揮され、「弁慶図」は薙刀を構える武蔵坊弁慶の上には「花すすき ひと夜はなびけ むさし坊」とあり、女性には無縁の弁慶を花すすきのように女性に心を動かしてみてはと案ずる物となっている。「鳶鴉図」は風雪に耐える鳶と鴉が厳しい自然を生きる様子を描いた作品。国宝である「夜色楼台図」は京の都に降る雪を描いた作品で、モノトーンの用に見えながら、家には代赭と呼ばれる顔料で淡い光・ぬくもりを演出している。そして、依頼品は山間の集落が柔らかに描かれ濃い墨と薄い墨で岩や木々をかき分け代赭を用いていて、落款は謝蕪村とある。