火曜の良純孝太郎SP 石原良純かける小泉孝太郎 軍艦島2025&世界遺産SP
石原良純は始めて軍艦島を訪れたのは2010年。それから15年間見続けてきた。最後に訪れたのは2023年。2025年、石原良純は久しぶりに軍艦島に上陸し見学した。1810年に軍艦島で石炭が発見された。正式名称は端島。1890年に炭鉱として開発開始。炭鉱の仕事は常に危険と隣合わせだった。昭和30年代の全国の平均月収は2万円。軍艦島の月収は約20万円だった。外周は1.2km。広さは新宿駅ほど。1960年ダニは5267人が生活していた。しかし1974年1月15日に炭鉱は閉山し無人となった。軍艦島が世界遺産担ったわけではなく、端島炭坑や島の護岸などが世界遺産となっている。案内してくれる坂本道徳さんは20歳まで軍艦島で生活していた。島で働く人達はエレベーターで海中へ。海底600mまで降りていった。軍艦島はかつて今の3分の1ほどの大きさしかなかった。シマノ発展に伴い埋め立てれた。1916年に建てられた30号棟はは日本初の鉄筋コンクリート造の7階建て高層アパート。15年前、石原良純は30号棟に潜入していた。