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伝説の番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」がパワーアップして復活。7月28日、渋谷の巨大ビジョン7台を使って櫻井翔がMCを務めることを発表した。舞台はヨーロッパ、番組初のアフリカ、決勝はニューヨーク。今回はウルトラクイズの伝説の名場面と挑戦者大募集スペシャル。
オープニングトーク。アメリカ横断ウルトラクイズ50周年、櫻井翔が総合MCを務める。2代目MC福澤朗は「30年前なので記憶がおぼろげ」「2万人以上が集まっている中で、圧で自分自身がなくなっちゃう気がする。押し返す、その熱量ですね」などと話した。櫻井は「僕としては楽しみな部分が大きい。不安も大きいですけど」などと話した。
49年前、1977年に始まった「アメリカ横断ウルトラクイズ」。世界で最も制作費がかかったクイズ番組としてギネス世界記録にも認定された。1983年に放送された第7回大会は後楽園球場で国内1次予選で行われ、1万人超の挑戦者が殺到した。「ニューヨークに行きたいか」という福留功男の名台詞と共に挑戦者1万人と○×クイズを行った。突破できたのは100名。国内2次予選は成田エアポートレストハウスで行われた。合言葉は「知力」「体力」「時の運」。じゃんけん3番勝負で勝った50名はそのままグアム行きの飛行機に乗った。機内では400問のペーパークイズが行われる。成績が悪かった下位10名はグアムの土地を踏めず、日本に強制送還された。グアムで行われたのは不正解だと泥だらけになる○×クイズ。照射は役半分に絞られた。次のハワイでの1問目は朝4時。会場に着いた順に並んで綱引きをした。勝ち上がった12名はカナダ・バンクーバーへ。1~3の札が渡され、正解だと思う札を上げるが、不正解だった場合は札を捨てなければならない。持ち札を使い切ると失格。スタートから10日、一行はアメリカ・ロサンゼルスへ。早押しクイズに答えたあと、双子神経衰弱に挑戦。ナイアガラの滝の前で早押しクイズにも挑戦。勝ち残った2名がニューヨークのパンナムビルの屋上で決勝戦を行う。約半月の死闘を繰り広げた末、参加人数1万203人のチャンピオンが決まった。
ウルトラクイズの代名詞ともいえる、どろんこクイズについて。その日の気象コンディションによって泥のこね方や水分量が変わり、スタッフは大変な苦労をしたという。福澤が司会を福留功男から引き継いだのは第15回(1991年)。入社4年目だった。
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福澤が2代目総合MCに就任した第15回大会の映像を伝えた。この大会では第1回からの総合MCにして、ウルトラクイズの象徴的存在だった福留功男のMC引退の噂が流れていた。しかし福留は登場、第1問を出題するなどして会場は大いに盛り上がった。ところが2問目が始まる直前、福留は体力の限界を理由に引退を宣言。2代目総合MCに就任した、入社4年目の福澤が登場した。
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櫻井翔さんは「登壇した時、目が血走ってましたね」とコメント。福澤朗さんは「当時嗚咽している人もいて、人生最大のアウェー。お金を積んでこの場から消えれるならいくらでも出そうと思った。」などと語った。
アメリカ横断ウルトラクイズの番組宣伝。
名物クイズ名場面。1979年・第3回で行われたバラマキクイズ。封筒に入ったクイズ100枚を上空からバラ撒き回答者が封筒を探し出して答える。不正解の場合は再び走って封筒を探しに行かなければならない。しかも100枚のうち20枚はハズレで問題は書いていない。この日は43℃の灼熱の中で行われたが、出場者のひとり小林さんはハズレを4回引くという不運に見舞われた。つづいて1992年・第16回のマラソンクイズ。全長約10kmのフロリダ州・オールドセブンマイルブリッジで走りながらクイズに答える。クイズに答えられなければ走る距離は増えていく。知力だけではなく体力が肝となる。1984年・第8回ではバハマの海底で早押しクイズ。クイズは挑戦者の荷物までも一緒に沈められて行われた。間違えると30秒間空気が止められてしまう過酷なルールで、以降行われることはなかった。
アメリカ横断ウルトラクイズ挑戦者募集。
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罰ゲーム名場面、1986年(第10回)12万8000匹のミツバチや1991年(第15回)人間火だるまなどの罰ゲームを敗者の映像と共に振り返った。
福澤朗は「海外でこういうタイプの番組がないので日本人が何をやってるのか分からない」などとコメントした。特に福澤が印象に残っているのが第15回オーランドの早朝奇襲クイズと話した。
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早朝奇襲クイズを映像で振り返った。
基本的に挑戦者とトランクケースは一体で、そこから日本に帰ってもらうこともあるという。福澤や制作チームは寝てないため移動中のバスで点滴を打ったと話した。
最も激闘と言われた第13回準決勝を紹介。通せんぼクイズ問題で実力者らの一歩も譲らない大接戦の早押し対決となったが9問目でニューヨーク行きをかけた初の通過クイズに挑戦するも失敗し永田さんは再び0点からのスタートとなる。その後も阻止されるなどの攻防が続き50問を突破、用意していた問題が底をついてスタッフが作成する事態となった。長門さんが8回目のクイズで勝利し決勝進出、3回目の永田さんが正解し66問目で決着となった。
福澤さんは印象に残っている出演者について「第15回大会で優勝した能勢一幸さん、最後の問題答えた「孟浩然!」問題としても答え方もカッコよかった。多分練習してた」などと話した。福澤さんは櫻井さんに覚えておいてほしいこととして「ここにある、僕らはウルトラハットと呼んでいるが意外と重いので何時間も被るので」などと話した。番組スタッフが初代MC福留さんに印象に残った挑戦者を伺うとある1人の挑戦者の名前が挙がった。
1983年開催の第7回大会で、18歳の若さで勝ち進んだ松本真代さん。実家が「和菓子屋金時」とのことで、福留が「金時真代」とあだ名をつけた。松本さんは最後の4人まで残っていたが、父が危篤の報があり、福留は帰るように促した。しかし松本さんは「私個人のことでクイズをやめて帰ることはしたくない」と返したという。番組側は日本にいる母親と話して決めようとなったその時、父が亡くなったという連絡が入った。それを伝えると、彼女はただただ泣いていた。母親からは「真代に最後まで頑張ってくれるように伝えて下さい」と話されたという。松本さんは続行を決断。準々決勝で無念の脱落となった。あれから43年。松本真代さんにお話を聞くことができた。松本さんは産経新聞の記者となり、現在は外国の方に日本語を教えているという。当時のことを振り返り「帰っていいよと言われ、即答できなかった。自分のことでいっぱいだった」などと話した。「冒険だったと思います、アメリカ横断ウルトラクイズの旅は。そこで出会いと御縁ができる。父が亡くなりましたが、お兄さんがたくさんできました。観るよりやるほうが楽しいと思います」などと挑戦者へメッセージを送った。
スタジオトーク。櫻井は「18歳で、そんな思いで決断したか、計り知れないですね」、福澤は「彼らにとっては人生がかかっている。一生に一度あるかないかの冒険をしに来ている。それを受け止めなきゃいけない」などと話した。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」の番組宣伝。
スタジオトーク。福澤朗は「具体的なアドバイスします。ライトが付いたヘットバンドを持っていって下さい」と話した。外国のホテルが暗いため。「それがあればどこでも下読みできます」とのこと。挑戦者募集の締め切りは8月23日。
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