2026年3月11日放送 1:55 - 2:45 NHK総合

こころフォト
スペシャル〜あなたを忘れない 15年目の手紙〜

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像が流れた。

東日本大震災で亡くなった母へ 娘からのメッセージ

東日本大震災で亡くなった武山直美さんへ娘のひなさんからメッセージ。直美さんは車に乗っている時に津波に巻き込まれた。「お母さん、私は20歳になりました。不安を感じながらも自分なりに前に進もうと努力してきた。お母さんがいないのは寂しいけど支えてくれる周りの人に感謝しながら目標に向かって頑張ります」などと紹介した。直美さんの母・淑子さんからのメッセージ。「あんなに小さかったひなが20歳に。嬉しい気持ちでいっぱいです。着物は22年前に直ちゃんと一緒に選んだ振り袖で、とっても綺麗だったよ」などと紹介した。

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オープニングトーク

東日本大震災からまもなく15年。亡くなった方、行方不明の方は2万2000人以上。一人ひとりの命の尊さを忘れないために、こころフォトでは写真と家族からのメッセージを紹介してきた。小学6年生の時に震災で両親を失った少女が27歳の今を見つめる。

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東日本大震災
こころフォト スペシャル あなたを忘れない 15年目の手紙
両親を失った少女 27歳のいま

福島県・浪江町で被災した鍋島悠希さんは当時津波と原発事故による大きな被害を受けた請戸地区に住んでいた。父の彰教さんは神職で、看護師の母の弥生さんと弟の悠輔さんの4人家族だった。悠希さんと悠輔さんはあの日小学校で被災し、教師に引率されて高台に避難していたため児童全員が無事だった。ただ翌日も両親が2人を向かいに来ることがなく、その後の原発事故によって両親を捜すことができないまま県外への避難を強いられた。1ヶ月後に弥生さんの遺体が発見され、彰教さんは現在も行方不明となっている。悠希さんと悠輔さんが通っていた小学校には母の弥生さんの車が乗り付けていたのが発見されていて、子供達が無事に避難したかどうかを小学校に確認しに来たところを津波に飲み込まれたとみられている。震災後悠希さんと悠輔さんは神奈川県の祖父母の元で育ち、弥生さんは周囲の友達の励ましもあって徐々に前向きに生きるようになっていった。震災から10年ほど経過したある日、実家の跡地から発見された父のPCのデータを復旧させることができた。中には悠希さんの卒業に寄せた父の言葉が書かれていて、悠希さんの素敵な未来を願うメッセージを受け取った。悠希さんは現在管理栄養士として働いていて、最近彼氏ができたという。

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宮城県 西城春音ちゃん(当時6歳)へ 姉 楓音さんより

宮城県の楓音さんより西城春音ちゃんへのメッセージ「もし戻れるなら子供時代に戻って一緒に春音と遊びたい」、「何年か前から始めた語り部活動は今も続けていて、うまく喋れているか不安になるけどがんばるね」などを紹介した。

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宮城県 西城春音ちゃん(当時6歳)へ 弟 靖汰さん・春汰さんより

宮城県の靖汰さん・春汰さんより西城春音ちゃんへのメッセージ「今は高校で楽しい学校生活を送っていて、もっと夢の中に遊びに来てほしい」、「僕は4月に中学生になり、春音ちゃんに会ったことは無いけど春音ちゃんを感じます」などを紹介した。

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父と兄に伝える思い 海とともに生きる

岩手・田野畑村。海岸沿いに一軒の民宿がある。客を迎えるのは女将の畠山香さん。家族で営む宿の自慢は地元でとれた海の幸。香さんを慕って様々な客が繰り返し泊まりに来る。香さんは津波で家族を亡くした。父・田河原義雄さん。避難先から忘れ物を取りに戻ったところを襲われた。地元の駅伝チームで活躍していた兄・誠さんは今も行方不明。父と兄が暮らしていた島越地区。あの日、漁協で働いていた誠さん。消防団として人々に避難を呼びかけていたという。その後、堤防から海を眺めている姿が見かけられたのを最後に行方不明に。3人の子供がいた誠さん。毎日のように子育ての悩みや喜びを香さんに話していた。宿は地震でボイラーが故障したものの大きな被害はなかった。津波は目の前の道路まで迫ったが、それ以上押し寄せることはなかった。香さんは震災から3週間ほどで宿を再開。村を立て直しにやって来る工事関係者のための復興宿として営業を続けた。復興工事が進むにつれ、人々が暮らしていた町は姿を変えていった。震災から10年が経つ頃、海の絶景を求め訪れる観光客の受け入れを再開した。宿には海外からの観光客も訪れるように。この地を訪れる客に向けて香さんがロビーに用意したものがある。東日本大震災の記憶を伝えるファイル。希望があれば動画を見せながら当時のことを説明することもあるという。震災の前も後も海とともに生きてきた。今は自分自身も楽しみながら人々を迎えたいと思っている。香さんからの手紙「父さん、マコちゃん、そちらの生活はどうですか?辛くないですか?寂しくないですか?私は嫁いで37年になります。二人とも私が頑張っている姿を喜んでくれたね。自慢の娘・妹でいられるようにこれからも明るい女将で頑張って行きます。辛く落ち込んだ時は二人を思い出し、命がある事の大切さを胸に刻み生きています。父さん、兄貴、ありがとう」と紹介した。

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福島県 会田正子さん(当時60歳)へ 親友 三瓶セツ子さんより

会田正子さん(当時60歳)へ親友・三瓶セツ子さんからのメッセージ。2人とも原発事故で郡山に避難したが、震災の翌年、会田さんは心筋梗塞で亡くなった。「あれから15年、長いようで本当に短かった。自分の体が自分でコントロールできず、「うつ病」になり、毎日が地獄でした。どうしてここまで生きて来られたのか。周りの人に、特に郡山の人たちに支えられ、今日まで来ている。同じ苦しみを持っている人がいると思うが、一緒にがんばって生きていきたい。生かされた命、大切に」と紹介した。

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3人のわが子を胸に夫婦が歩んだ歳月

3月11日、宮城県石巻市で打ち上げられる花火。亡き人を思う慰霊の花火。中心となって取り組んできたのは遠藤綾子さん、伸一さん夫婦。伸一さんは「3.11に思うことは守ってやれなくてごめんなという後悔とおわび。たくさんの思いに支えられながら生かされているっていうのを子どもに報告する日でもある」などコメント。遠藤さんは自宅で3人の子どもを亡くした。頑張りやで姉弟思いだった花さん。優しい性格の侃太くん、明るく活発な奏さん。突然の別れから15年。夫婦は葛藤の中生きてきた。綾子さんは「考えるのも本当はつらいところがある。本当の心の底にあるのはごめんねしかない」などコメント。家族5人の賑やかな生活はあの日絶たれた。

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大きな揺れのあと伸一さんは小学校にいた侃太くん、奏さんを海辺の町にあった自宅に連れて帰った。3人の子どもを自分の母親に託し、連絡が取れない親戚を探しにいった伸一さん。子どもたちのもとへ戻る途中。津波に襲われ重傷を負った。花さんと奏さんは家の中で、侃太くんは10日後自宅のそばで見つかった。職場で被災し身動きがとれなかった綾子さん。3日後、我が子の死を知らされた。なぜ、子どもたちを守れなかったのか。やり場のない思いを夫にぶつけた。綾子さんは人と会うことを避けるようになった。綾子さんは「悲しいとか悔しいとかさみしいとかってよりは今でも1日何回もうそでしょうっていう瞬間がある。何回もそれを思うし会いたいなと思うし」など話した。消えることのない後悔と自責の念。伸一さんは「これからなんのために生きていったらいいのか。まるっきりわからなくなって。消えてなくなりたいと」など話した。そんな伸一さんに周囲の人は立ち上がるきっかけを作ってくれた。伸一さんの職業である木工の仕事で子どもたちのための本棚作りを依頼。娘たちは伸一さんの仕事が大好きだった。震災から3年後、自宅の跡地に子どもの遊び場を作り始めた。前に進もうとする伸一さんの姿は綾子さんの心を動かしていく。家族が暮らしたこの場所は

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東日本大震災石巻(宮城)遠藤伸一遠藤侃太遠藤奏遠藤綾子遠藤花

震災から3年後、自宅の跡地に子どもの遊び場を作り始めた。前に進もうとする伸一さんの姿は綾子さんの心を動かしていく。家族が暮らしたこの場所は地域の人たちが集う拠点となっていった。つながり支え合うことで震災後の日々を歩んできた。震災から10年後、夫婦に変化が生まれていた。震災直後は辛くて直視できなかった子どもたちの写真。しかし、この頃に綾子さんの父が子どもたちの映像を送ってくれたという。会えなくなって10年が経ち、声や動く姿に触れたいと2人で見るようになった。子どもたちの姿が教えてくれたことがある。綾子さんは「ちゃんと悲しんでいいんだっていうのがわかった。震災の3月11日のことばかりがすべてじゃなくて。その前には大事な宝物の日々があったことに気づけたのがいちばんよかったこと」などコメント。

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東日本大震災石巻(宮城)虹の架け橋遠藤伸一遠藤侃太遠藤奏遠藤綾子遠藤花

今年、伸一さんは石川県輪島の職人と共同製作を始めた。豪雨災害で娘、孫を亡くした職人の親子が声をかけた。伸一さんは「大きい悲しみの中で、やりがいというものを私も作ってもらった。少しでも役に立てないかなと。災害には人一人の力では勝てない。でも人が人を思うことで負けないことはできる」。一方、綾子さんは4年前から新しい仕事を始めていた。職場は石巻市の震災遺構門脇小学校。津波と津波火災に襲われた場所。当時の姿を残す場所。綾子さんはここで起きたことを伝える解説ガイドを行っている。綾子さんは「震災被害にあったものとして、このまま関わらずに一生を終えてしまってもいいのかと、ここ数年もやもやしていた」などコメント。勇気をだして始めた仕事。震災を正しく伝えることで守られる命があると考えたのだそう。この小学校では避難訓練が徹底され、震災当時避難した224人は全員助かったという。しかし、すでに下校していた児童など7人が、そして地域一帯で多くの人が犠牲になった。綾子さんは「震災の瞬間を思い出して辛くなるときもあるが、だからこそ他の人にもそういった思いをしてほしくないし伝えていかなきゃいけない」などコメント。最後に伝えること、それは震災後に感じてきた自らの「もう立ち上がれないんじゃないかと思っているところに、いろんな方が駆けつけてくれて本当に応援してくれた。人を救えるのは人だけだったということをこれからもここで伝えていきたい」という思い。綾子さん伸一さんの2人が歩んだ15年。伸一さんは「一緒にいれないなという時期もあった。その中でそれをつないでいるのも子どもたちなんだと思う。その子どもの話をして、笑ったり、だったよねって言えるのは綾子しかいない。3人の父母だったというのは変わらない」などコメント。

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最愛の我が子、花さん、侃太くん、奏さんへあてた父・伸一さんからの「あの日、幸せな日常、大切な大切な宝物の花、侃太、奏を失い。会えてない時だけが流れ、ただ長く感じられます。時の流れの中、一歩踏み出す活動の中であっても、そこだけは置いてけぼりです乗り越えなくちゃならない3.11という日をたくさんの人の想いの中、またなんとか乗り越えさせていただきます、繋がってくださったあたたかい人の想いの中で今も生かされています。花、侃太、奏に届くことを願い、祈ります」という手紙が紹介された。

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