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「奏さん」 のテレビ露出情報

3月11日、宮城県石巻市で打ち上げられる花火。亡き人を思う慰霊の花火。中心となって取り組んできたのは遠藤綾子さん、伸一さん夫婦。伸一さんは「3.11に思うことは守ってやれなくてごめんなという後悔とおわび。たくさんの思いに支えられながら生かされているっていうのを子どもに報告する日でもある」などコメント。遠藤さんは自宅で3人の子どもを亡くした。頑張りやで姉弟思いだった花さん。優しい性格の侃太くん、明るく活発な奏さん。突然の別れから15年。夫婦は葛藤の中生きてきた。綾子さんは「考えるのも本当はつらいところがある。本当の心の底にあるのはごめんねしかない」などコメント。家族5人の賑やかな生活はあの日絶たれた。
大きな揺れのあと伸一さんは小学校にいた侃太くん、奏さんを海辺の町にあった自宅に連れて帰った。3人の子どもを自分の母親に託し、連絡が取れない親戚を探しにいった伸一さん。子どもたちのもとへ戻る途中。津波に襲われ重傷を負った。花さんと奏さんは家の中で、侃太くんは10日後自宅のそばで見つかった。職場で被災し身動きがとれなかった綾子さん。3日後、我が子の死を知らされた。なぜ、子どもたちを守れなかったのか。やり場のない思いを夫にぶつけた。綾子さんは人と会うことを避けるようになった。綾子さんは「悲しいとか悔しいとかさみしいとかってよりは今でも1日何回もうそでしょうっていう瞬間がある。何回もそれを思うし会いたいなと思うし」など話した。消えることのない後悔と自責の念。伸一さんは「これからなんのために生きていったらいいのか。まるっきりわからなくなって。消えてなくなりたいと」など話した。そんな伸一さんに周囲の人は立ち上がるきっかけを作ってくれた。伸一さんの職業である木工の仕事で子どもたちのための本棚作りを依頼。娘たちは伸一さんの仕事が大好きだった。震災から3年後、自宅の跡地に子どもの遊び場を作り始めた。前に進もうとする伸一さんの姿は綾子さんの心を動かしていく。家族が暮らしたこの場所は
震災から3年後、自宅の跡地に子どもの遊び場を作り始めた。前に進もうとする伸一さんの姿は綾子さんの心を動かしていく。家族が暮らしたこの場所は地域の人たちが集う拠点となっていった。つながり支え合うことで震災後の日々を歩んできた。震災から10年後、夫婦に変化が生まれていた。震災直後は辛くて直視できなかった子どもたちの写真。しかし、この頃に綾子さんの父が子どもたちの映像を送ってくれたという。会えなくなって10年が経ち、声や動く姿に触れたいと2人で見るようになった。子どもたちの姿が教えてくれたことがある。綾子さんは「ちゃんと悲しんでいいんだっていうのがわかった。震災の3月11日のことばかりがすべてじゃなくて。その前には大事な宝物の日々があったことに気づけたのがいちばんよかったこと」などコメント。
今年、伸一さんは石川県輪島の職人と共同製作を始めた。豪雨災害で娘、孫を亡くした職人の親子が声をかけた。伸一さんは「大きい悲しみの中で、やりがいというものを私も作ってもらった。少しでも役に立てないかなと。災害には人一人の力では勝てない。でも人が人を思うことで負けないことはできる」。一方、綾子さんは4年前から新しい仕事を始めていた。職場は石巻市の震災遺構門脇小学校。津波と津波火災に襲われた場所。当時の姿を残す場所。綾子さんはここで起きたことを伝える解説ガイドを行っている。綾子さんは「震災被害にあったものとして、このまま関わらずに一生を終えてしまってもいいのかと、ここ数年もやもやしていた」などコメント。勇気をだして始めた仕事。震災を正しく伝えることで守られる命があると考えたのだそう。この小学校では避難訓練が徹底され、震災当時避難した224人は全員助かったという。しかし、すでに下校していた児童など7人が、そして地域一帯で多くの人が犠牲になった。綾子さんは「震災の瞬間を思い出して辛くなるときもあるが、だからこそ他の人にもそういった思いをしてほしくないし伝えていかなきゃいけない」などコメント。最後に伝えること、それは震災後に感じてきた自らの「もう立ち上がれないんじゃないかと思っているところに、いろんな方が駆けつけてくれて本当に応援してくれた。人を救えるのは人だけだったということをこれからもここで伝えていきたい」という思い。綾子さん伸一さんの2人が歩んだ15年。伸一さんは「一緒にいれないなという時期もあった。その中でそれをつないでいるのも子どもたちなんだと思う。その子どもの話をして、笑ったり、だったよねって言えるのは綾子しかいない。3人の父母だったというのは変わらない」などコメント。
最愛の我が子、花さん、侃太くん、奏さんへあてた父・伸一さんからの「あの日、幸せな日常、大切な大切な宝物の花、侃太、奏を失い。会えてない時だけが流れ、ただ長く感じられます。時の流れの中、一歩踏み出す活動の中であっても、そこだけは置いてけぼりです乗り越えなくちゃならない3.11という日をたくさんの人の想いの中、またなんとか乗り越えさせていただきます、繋がってくださったあたたかい人の想いの中で今も生かされています。花、侃太、奏に届くことを願い、祈ります」という手紙が紹介された。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月23日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’26ふたりの現在地
2025年11月、伸一は工房で黙々と作業していた。伸一は震災後には津波で流された木材を使用してストラップを作っており、津波で流されてしまい瓦礫となった木材たちはかつては何かであったため、再び木として生きてほしいと自分たちに重ねて思っているなどと語った。2011年3月11日、伸一は大震災の揺れのあと、子どもたちを自宅にいた母に託して連絡のつかない親戚のもとへ向[…続きを読む]

2026年3月7日放送 17:10 - 18:00 NHK総合
こころフォトこころフォト スペシャル あなたを忘れない 15年目の手紙
3月11日、宮城県石巻市で打ち上げられる花火。亡き人を思う慰霊の花火。中心となって取り組んできたのは遠藤綾子さん、伸一さん夫婦。伸一さんは「3.11に思うことは守ってやれなくてごめんなという後悔とおわび。たくさんの思いに支えられながら生かされているっていうのを子どもに報告する日でもある」などコメント。遠藤さんは自宅で3人の子どもを亡くした。頑張りやで姉弟思い[…続きを読む]

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