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料理愛好家の平野レミを特集。
平野レミの1日の始まりは、亡くなって5年になる夫の和田さんとのお茶での乾杯からだという。リビングには父の日記があり、父のことを知りたいと思い読み進めているという。父の平野威馬雄は翻訳で知られているフランス文学者で詩人でもあり博物学の本も手掛けたという。好奇心が旺盛で晩年はUFOや幽霊の研究にものめり込んだという。
平野レミは子供の頃は千葉県松戸市で暮らしていたので、レミは20年ぶりに松戸市を訪れた。当時家族と過ごしていた家は松戸市立第一中学校のグラウンドになっていた。他にも小学生時代の通学路などを訪れた。平野レミは子供の頃に父に「人に意地悪はするなよ」と言われていたという。父はハーフということで、戦後に増えた混血児を支援する活動をしていたという。平野レミは当時子どもたちのために料理を作っており、そこで料理をすることで人を喜ばすことができると知ったことが自身の原点になったのだという。
平野レミは「平野レミの早わざレシピ!」という番組を10年続けている。82分の生放送で15の料理を作るという。親交のある三谷幸喜は「レミさんの料理は奇抜なだけじゃない」と語っている。
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- お月見ポテチー平野レミの早わざレシピ!
平野レミは15歳の頃に都内の進学校に入った。しかし学校に馴染むことができず、高校2年生で先生に注意されて爆発してしまい、廊下に出ろと言われたがそのまま学校を出て戻らなかったという。そこで父に学校を辞めたいと言うと、父はそれを認めてくれたという。ただその代わりに「好きなことを徹底的にやれ」と言われたという。そこで平野レミは好きだったシャンソン歌手になった。その後は歌手デビューしてラジオにも出演するようになった。ただその状況に平野レミは満足してなかったという。しかし、そんな平野レミに目をつけたのが夫になる和田誠さんだったという。2人は出会って10日ほどで結婚したという。父は結婚の報告を受けて大いに喜んだという。
結婚生活が始まると平野レミは仕事をやめて専業主婦になった。料理を作ると和田さんは喜んでくれて「死ぬまでにあと何千回レミのご飯が食べれるかな」と語っていたという。それから平野レミは徹底的に料理に取り組むようになり、長男も生まれた。平野レミは一層料理に励むようになり、料理教室の講師もやるようになり、1985年には料理番組「きょうの料理」に出演するようになった。
平野レミは料理愛好家になって40年。料理のアイデアはまだまだ尽きないという。2人のスタッフは15年ほど共に働いているという。2人のスタッフはレミさんのことを「愛の人」だと語っているという。平野レミは今日もキッチンに立っている。
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